独立ウクライナ時代(1991年-)
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1991年、ウクライナのソビエト連邦からの独立により、カームヤネツィ=ポジーリシクィイはウクライナ領となった。
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独立ウクライナ時代
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ウクライナ独立に関する1991年国民投票(英語版)では、有権者の内、ドネツィク州で83.9%(投票率76.7%)、ルハーンシク州で83.6%(投票率80.7%)がソビエト連邦からの独立を支持した。しかしながら独立は結果的にドンバスに深刻な経済的悪化をもたらした。1993年には産業生産は崩壊し、平均賃金は1990年比80%にまで低下した。キーイウ(キエフ)の新中央政府が冒した数多くの管理間違いと怠惰のせいで、ドンバスは危機に陥った。 ドンバスの採炭業者は1993年に国内紛争(歴史家ルイス・ジーゲルバウムが言うところの「ドンバス地域と他の地域との争い」)を巻き起こしながらストライキを行った。あるストライキ指導者が言ったように、ドンバスの人たちは地域や企業や諸都市に権限移譲して欲しいから独立に賛成したのであってただモスクワからキーイウに移っただけの高度に中央集権化された政府を望んだわけではない。このストライキはドネツィク・ルハーンシク両州の様々な憲法上の諸問題に関する意見聴取の住民投票(独立ウクライナの最初の議会選挙(英語版)と同時実施)が行われた1994年まで続いた。これらの諸問題にはロシア語をウクライナの公用語として採用する是非、あるいはドネツィク・ルハーンシク両州の行政言語をでロシア語とする是非、ウクライナの連邦化かウクライナと独立国家共同体の密接な連携か、といった諸点が含まれる。投票者の90%近くがこれらの提案に賛成した 。しかし、いずれも採択されなかった。ウクライナは単一国家に留まり、ウクライナ語は唯一の公用語として維持され、ドンバスにはいかなる自治権も与えられなかった。しかし、ドンバスのスト参加者達は地域の経済危機に対する緩和策を考慮されるなど、キーイウから多くの経済的譲歩を得た。小規模なストライキは90年代を通じて続いたが、自治に対する要求は終息していった。ドンバスの重工業に対するいくつかの補助金は廃止され、世界銀行による自由化改革を後押しするために多くの炭鉱がウクライナ政府によって閉鎖された。 1994年ドンバスと東ウクライナの他の地域からの支持で当選したレオニード・クチマ ウクライナ大統領は1999年に再選された。クチマは地域内の政治的支援を得るために、開発資金を用いてドンバスに経済的援助を与えた。2000年代初めにドンバス内の権力はオリガークス(英語版)(ウクライナ語: олігархи、オリハルフィー)と呼ばれる一部の政治的エリートに集中した。国有産業の私有化は腐敗の蔓延を招いた。郷土史家の黒宮広昭は地域の経済力、政治力を支配する人々のグループであるこのエリートを「ドンバス・クラン (Donbass clan)」として描写した。「クラン」の著名なメンバーにはヴィクトル・ヤヌコーヴィチとリナット・アクメトフ(英語版)が含まれる。オリガークスの形成は腐敗と結びつき、 ウクライナ内でドンバスが最も非民主的かつ最も邪悪な地域との認識を導いた。2000年代、ウクライナの他の地域から見て、ドンバスは「チンピラ文化」を持ち、「ソビエトの糞貯め」であり、後進的である、と認識されていた。2005年のNarodne slovo紙が伝えるように、コメンテーターのViktor Tkachenkoはドンバスを「第五列」の巣窟と呼び、その地域でウクライナ語を話す事は「健康と生命にとって安全ではない」と発言した。また、親ロシア派分離主義の策源地であるように描かれた。ドンバスはウクライナの他の地域と比べて共産主義者の名前を採って名付けられた都市や村の数が顕著に多い。ところが、これらの描写にも拘らず、1990年代から2000年代に行われた調査ではドンバスによるウクライナの他地域への支援は強力であり、むしろ分離主義者を冷淡に取扱った事が示された。
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