独立フィンランドの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 13:44 UTC 版)
「フィンランド多島海域」の記事における「独立フィンランドの時代」の解説
1917年にフィンランドはロシア帝国から独立した。それから少しの後、この海域の西部に位置するオーランド諸島のスウェーデン語話者の住民たちが、オーランド諸島をスウェーデンに併合する様に主張した。この要望はスウェーデン側でも採り上げられ、様々な反応があったが結果としてオーランド危機(英語版)が起こった。国際連盟はこの状況を解決するため、オーランド諸島住民の大多数の反対があったにも関わらず、1921年にこの海域の島々全てをフィンランド領とする裁定を行った。しかしながら、オーランドには広い自治権が与えられ、非武装地帯であることも再確認された。 1939年に勃発した冬戦争でソビエト連邦がフィンランドに侵攻した。この戦争の終わり、1940年、フィンランドはこの海域の東側に位置しているハンコを軍事基地として租借させるよう、ソビエト連邦から強要された。1941年になると継続戦争が勃発した。フィンランドは、ソビエト連邦からの侵攻に対して防衛を行うためオーランド諸島に軍を派遣したが、結果的に侵攻されることは無かった。またフィンランド軍はハンコを包囲攻撃し、この年の暮れにソビエト連邦軍は撤退した。フィンランド軍は1944年の終わりまでオーランド諸島に駐留した。 1995年、フィンランドは欧州連合に加入した。加入に関する国民投票については、オーランド諸島は個別に実施され、本土側とは別の結果になる可能性があった。もしオーランド諸島の住民が欧州連合への加入を否決すれば、デンマークの自治領でありながら欧州連合に加入していないグリーンランドと同じような状況となる可能性があった。しかしながら、双方の国民投票で欧州連合加入は可決された。
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