独立プロ経営者、脚本家として
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「松崎啓次」の記事における「独立プロ経営者、脚本家として」の解説
1946年(昭和21年)、秋元憲らと内外映画社を設立。1948年(昭和23年)8月5日、内外映画社スタッフが広島復興の記録映画「ノーモア・ヒロシマズ」(1949年2月に全3巻が完成間近と地元新聞が報じたが、GHQの検閲によって公開を禁じられた)の撮影のため広島入りした。 1951年(昭和26年)、内外映画社で製作した樋口源一郎監督の教育映画『社會科教材映画体系 ゆうびん』公開。 1952年(昭和27年)、内外映画社で製作した田口哲監督の『森林泥棒』が公開される。内外映画社で教育映画『鉄道の人たち』、『氷雪に挑む~寒地保線の人々~』製作。 1954年(昭和29年)から1957年(昭和32年)まで、『少年姿三四郎 第一部 山岳の決斗』、『少年姿三四郎 第一部 山岳の決斗』、『ウッカリ夫人とチャッカリ夫人 やりくり算段の巻』、『爆笑天国 とんち教室』、『さいざんす二刀流』、『姿三四郎 第一部 』、『姿三四郎 第二部』、『柔道流転』、『柔道流転 黒帯無双』(以上東映)、『俺は犯人じゃない』、『地獄の札束』、『復讐は誰がやる』(以上日活)など様々な娯楽映画の製作や企画、脚本に関わる。 1956年(昭和31年)、新東宝の『女真珠王の復讐』の原案。
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