状況の変化 — 960年代のエジプト
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「ファーティマ朝のエジプト征服」の記事における「状況の変化 — 960年代のエジプト」の解説
10世紀の三分の二が経過する間に勢力の均衡がファーティマ朝にとって有利な状況へ変化していった。ファーティマ朝が統治体制を強化した一方で、アッバース朝は官僚、宮廷、そして軍の派閥間の絶え間ない権力争いによって弱体化した。野心を持つ地方の統治者によって遠方の地域が徐々に失われ、勢力範囲はイラクに限定されるまで縮小した。そして946年以降はアッバース朝のカリフ自身がブワイフ朝の無力な傀儡となるまで衰えた。 960年代までにイフシード朝はアッバース朝と同様に国内の緊張と外部の圧力が組み合わさる危機に直面していた。ヌビアのキリスト教国であるマクリア王国(英語版)が南方から侵略を開始し、一方、西方ではベルベル系のラワタ族(英語版)がアレクサンドリア周辺の地域を占領した。さらにラワタ族はイフシード朝の軍隊に対抗するために西部砂漠(英語版)の地元のベドウィン部族と同盟を結んだ。シリアでは特にバフライン(英語版)(東アラビア)に拠点を置くイスマーイール派の分派であるカルマト派の侵入と、これと並行して起きていたベドウィンの不満の高まりがイフシード朝の統治を不安定なものにした。カルマト派はたびたびベドウィンと連携して隊商やメッカへの巡礼者を襲撃したが、イフシード朝はこれらの攻撃に対処することができなかった。このような状況下でエジプトからイラクへの陸路は実質的に寸断された状態にあった。現代の学者たちはこれらの出来事のうち少なくともいくつかは背後でファーティマ朝が関与していたのではないかと疑っている。フランスの東洋学者のティエリ・ビアンキによれば、アスワン一帯を略奪した956年のマクリア王国の襲撃は「おそらくファーティマ朝によって密かに支援されていた」。そして歴史家のマイケル・ブレットは、シリアにおけるベドウィンとカルマト派の攻撃へのファーティマ朝の関与は「多くの場合存在したと考えられる」が、関与についての「明確な証拠はない」として注意を促している。 エジプト国内の情勢は962年に始まったナイル川の水位の低下を契機として悪化していった。967年の氾濫は初期のイスラーム時代に記録された中では最低の水位を記録し、その後の3年間の川の水位は通常を大きく下回ったままであった。熱風とワタリバッタの大群が多くの農作物を破壊し、当時知られていた限りでは最悪の飢饉を招き、さらにネズミが媒介する疫病の大流行が事態を一層悪化させた。その結果、食料品の価格が急激に上昇し、968年までに鶏肉の価格は飢饉前の25倍、卵は50倍となった。首都のフスタートは最も大きな打撃を受けた。バグダードに次いでイスラーム世界で最も人口の多い都市であったフスタートは、飢饉と疫病の流行(ファーティマ朝統治時代の初期まで続いた)によって荒廃した。収穫量の減少によって国庫への収入が減少し、支出も削減された。これは影響力のある宗教界にも直接影響を与えた。俸給の未払いが続いただけでなく、モスクの維持のための資金が消え、安全を保証するために必要な人員と資金を提供できなくなったことで、965年以降メッカへの巡礼団は完全に姿を消した。 さらに、960年代には皇帝ニケフォロス2世フォカス(在位:963年 - 969年)の下でビザンツ帝国(東ローマ帝国)がイスラーム世界を侵食しながら拡大し、クレタ島とキプロス島、さらにはキリキアを占領してシリア北部へ進出した。これらの侵攻に対するイフシード朝政権の対応は及び腰で効果のないものだった。クレタ島に対しては何の支援にも動かず、キプロス島の占領に対応して送られた艦隊はビザンツ海軍によって撃破され、エジプトとシリアの海岸地帯は無防備な状態のまま放置された。エジプトのイスラーム教徒はジハードを求めて抗議し、イスラーム教徒が始めたキリスト教徒への迫害は困難の末に鎮圧された。イフシード朝とその宗主であるアッバース朝の効果のない対応とは対照的に、ファーティマ朝は政治的な宣伝のためにビザンツ帝国の侵攻をいち早く利用した。当時、ファーティマ朝はイスラームの精力的な推進者としてイタリア南部におけるビザンツ帝国との戦いを成功裏に進めていた。ビザンツ帝国の攻勢は、同時期に起こっていたシリア中部におけるベドウィンとカルマト派の略奪行為と相まって、飢饉の際に通常頼りとしていたシリアの小麦をエジプトから奪うことにもつながった。 このような内部の問題と外部の脅威を背景として、かつての帝国の大君主の恒久的な衰退の後を受けたファーティマ朝による支配の実現は、エジプト人にとってますます魅力的な可能性と考えられるようになった。
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