湖南の戊戌変法とは? わかりやすく解説

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湖南の戊戌変法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:38 UTC 版)

黄遵憲」の記事における「湖南の戊戌変法」の解説

1898年光緒24年)、戊戌変法開始された。これは康有為梁啓超中心となって起こした富国強兵目指す改革運動である。洋務運動兵器工場機械導入制限して西欧文明受容ようとした改革であるのに対し政治外交など制度まで含めた全般的な改革めざしたのである。この改革康有為光緒帝擁し北京指揮を執っていた。黄遵憲外交官としての経験から、富国強兵のためには全面的な制度改革不可欠考え、この戊戌変法強く支持していたのである戊戌変法の少し前、翁同龢推薦され黄遵憲光緒帝謁見変法説く機会得た。『日本国志』に光緒帝大きく動かされたという。結果皇帝から信任されたため湖南省の長宝塩法道という官職に就き、さらにその後按察使兼任した按察使司法治安司り、省内では総督巡撫布政使に次ぐ重職であって進士でもない黄遵憲がこの職につけられたことから、いかに信任篤かったかが分かる。この湖南への派遣偶然に拠るものではない。当時湖南総督張之洞巡撫陳宝箴(ちんほうしん詩人陳三立の父であり、著名な史家陳寅恪(ちんいんかく)の祖父)、学政江標こうひょう)及び徐仁鋳(じょじんちゅう)など改革志向する官僚集っていた。光緒帝翁同龢湖南改革モデル地区とする意図があって、黄遵憲派遣したのである期待応えるかのように黄遵憲変法派官僚と結び湖南において、強力に改革推進していく。それは「西人の政・西人の学を采り、以て我が国の政・学の弊を彌縫す」というように、西欧改革モデルとするもので、且つ日本手本したものであった当時まだ国外土を踏んだことがある者はまれであり、ましてや官僚郷紳といった知識人層に限定すれば尚更少数であった。したがって黄遵憲のように直接見聞した者の意見が、西欧日本モデルとする改革において尊重されたことは容易に想像できる改革はまず『時務報』の経営あり方めぐって内紛巻き込まれていた梁啓超上海から呼び寄せ時務学堂という改革思想教授する学校の総教習とすることから着手された。梁啓超ばかりでなく、同じく康有為変法派連なる譚嗣同たんしどう)・唐才常とうさいじょう)も同時に教師任じている。時務学堂王先謙おうせんけん)の要望陳宝箴入れて設立した学校である。「時務ということばが冠せられているように、通常の科挙受験あるいは講学タイプではなく洋務運動精神中体西用」を指針とする教育機関として構想された。しかし変法派教師たち民権・平等・立憲政治といった西欧価値観学生教え湖南一大旋風巻き起こした。これは王先謙思惑超えたものであって、その過激思想厳しく批判した結果湖南改革強く反対する一派生み出すことになり、改革進行阻害することになる。 さらに黄遵憲は『湘報』・『湘学新報』という雑誌新聞発行し変法避けられないことを世に知らしようとした。これらの鼓吹により変法派勢い強くなり、黄遵憲湖南来て以来我が省の民心、頓(とみ)に一変為す」と保守派をして言わしめたのであるこの他纏足会を組織し女性強制されていた纏足廃止訴えている。 黄遵憲行おうとした改革眼目一つ地方自治導入がある。上の時務学堂少壮学生たちを対象とした啓蒙目的としたのに対し士大夫対象としたのが南学会である。南学会は学会体裁をとるものの、実際に湖南指導的な士大夫層を集めて立憲政治仕組み理解させ、ゆくゆくは湖南地方議会たらしめよう企図された団体である。また治安担当する機関として保衛局を設けた。これは西欧日本を範としながら、独自の改良加えた官民合弁警察制度である。さらに実務長けた官吏育成するために課吏館を設けた。ただこれらの改革実効挙げたかどうか疑わしい戊戌変法は別名百日維新と言われ下に見るようにごく短期間終結するからである。

※この「湖南の戊戌変法」の解説は、「黄遵憲」の解説の一部です。
「湖南の戊戌変法」を含む「黄遵憲」の記事については、「黄遵憲」の概要を参照ください。

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