湖北軍政府の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 14:32 UTC 版)
10月11日、反乱軍は湖北省を代表する軍政府を設立した。これを湖北軍政府(または鄂軍都督府)という。反乱軍は、新軍の高級将校の一人であった黎元洪を説得して、暫定の都督(軍政府のトップ)に据えた。黎元洪は当初その考えには反対したが、最終的には反乱軍に説得されて同意した。新たに設立された軍政府は、外国勢力はこの蜂起に干渉しないことの確認を取り、他省にも同様の蜂起を呼びかけつつ、「鉄血十八星旗」と呼ばれる旗を掲揚した。 10月12日には、革命軍は湖北省の他の地域に進軍し、その過程で漢口、漢陽も占領し、13日に漢口領事団は革命軍を交戦団体と認めて中立を宣言した。16日都督府臨時組織令が発せられ、黎元洪は総司令を兼ねることとなった。18日に革命軍は張彪が指揮する政府軍に攻撃を開始し、漢口大智門駅から灄口に追い、武昌の砲台は政府艦隊を下流に撃退した。
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