海上自衛隊との関係
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海上保安庁は海上の安全および、治安の確保を図ることを任務とする国土交通省(旧運輸省)の機関(外局)である。一方、国外の艦艇に対応する任務は行政上別系統である防衛省の特別の機関である海上自衛隊が担当しており、船舶に対する任務を海上保安庁が担う。海上自衛隊は防衛大臣による海上警備行動の発令によって初めて洋上の警備行動が取れる。 海上保安庁は第二次世界大戦終戦前までの高等商船学校出身の旧海軍予備士官が中核を担い1948年(昭和23年)5月設立されたのに対し、海上自衛隊の前身・海上警備隊は海軍兵学校出身の旧海軍正規士官が中核を担って海上保安庁内に1952年(昭和27年)4月設置された。 高等商船学校生は卒業時に海軍予備少尉または海軍予備機関少尉に任官され、戦時中召集されると海防艦の艦長、特設艦艇の艦長・艇長、あるいはそれらの艦艇の機関長等として船団護衛、沿岸警備の第一線で活躍した。 終戦後、海上保安庁(高等商船学校出身者)と海上自衛隊(海軍兵学校出身者など)が組織される際には、人事の面において、候補者の出身校や経歴に影響が見られた。 1999年(平成11年)3月23日には能登半島沖不審船事件が発生し、事態が海上保安庁の能力を超えているとして海上自衛隊に初の海上警備行動が発動された。このときの反省を受け事件後に、海上保安庁と海上自衛隊との間で不審船対策についての「共同対処マニュアル」が策定され、戦争中の旧海軍内での立場や受けた仕打ちに端を発して設立時の恨みから長らく続いてきた両者間の疎遠な関係を改善するきっかけとなり、情報連絡体制の強化や両機関合同の訓練が行われるようになった。この時点では上級幹部に至るまで防衛大学校、海上保安大学校出身者が占めるようになっていた。また高速で防弾性に優れ長距離射撃能力が付与された巡視船が建造されるようになった。さらに2001年(平成13年)には海上警備業務における武器使用基準を定めた海上保安庁法第20条第2項の改正が行われ、一定の条件下に限って該船の乗員に危害射撃を加えても海上保安官の違法性が阻却(免責)されるようになった。この改定の直後に九州南西海域工作船事件が発生している。 なお、海上警備行動時には海上自衛隊が海上保安庁の任務を一時的に肩代りするものであるから、海上自衛隊も警察官職務執行法・海上保安庁法を準用して行動する。 海上保安庁が運用する固定翼機の操縦士は海上自衛隊の操縦士を養成する小月教育航空群に委託され、海上自衛隊の隊員に準じた教育を受ける。(回転翼機は海上保安学校で養成)
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