法然批判とは? わかりやすく解説

法然批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/03 05:17 UTC 版)

摧邪輪」の記事における「法然批判」の解説

九条兼実求めに応じて撰述された『選択集』は、「弥陀本願」たる念仏のゆえんを明らかにし、専修念仏普及理論的著作となったが、そのなかに、菩提心廃しまた、浄土門以外の宗派を「聖道門」と称して「群賊」にたとえることがあった。高弁は、特に「一、菩提心を撥去する過失。二、聖道門を以て群賊悪譬ふ過失」の2点について法然の二大過失として厳しく批判し、これを含めた13過失掲げて選択集』を批判したこのなかで聖道門を「群賊」とたとえるのは、善導の『観経疏』における三心釈のうち廻向発願心釈において示される二河白道のたとえ(「二河白道譬」)のなかに出てくる語である。ただし、法然廻向発願心解釈善導解釈委ねており、『選択集』では自らの解釈述べていない。このことから法然は、聖道門をただちに群賊とするものではないとの見方も可能であるが、高弁法然解釈を群賊にたとえたものとして批判したこの所論には高弁善導観が大きく作用しており、高弁は、善導注釈一切衆生あらゆる機根対象したものではなく一類凡夫を導くためのものであり、それは菩薩や諸師があらゆる機会教え説く方法と同様であって説示対象異なる諸師間の解釈の是非を論じたものではないとし、『選択集』の内容は、正見と悪見の区別諸法存在意義などを考慮しない仏教からの逸脱であるとして批判した。 より本質的には、前掲たように高弁菩提心仏道求め根本であるとしており、本書大部分菩提心扱い方不適切さに対す非難あてられている。菩提心とは、菩提悟り仏果)を得よう志向実践する心を意味しており、仏道修行志す者はすべてまず初めに菩提心を発さなければならない菩提心発することにより、人は菩提求めて仏道修行の道を歩むことができるのであり、それを否定することは仏教としての自身あり方否定することにほかならないしかるに選択集』で菩提心否定・「選捨」されている。高弁は、「浄土家」においても発菩提心基本とされていることを指摘したうえで、大乗仏教基本であり、法無我平等の義に立つ菩提心否定し、これに代えて至誠心深心廻向発願心三心浄土往生の行であると説く法然所論は、結局のところ大乗仏教そのもの否定につながる大過失であると説く高弁にとって、浄土教のいう信心と『華厳経』で特に高唱される菩提心はまった異なるものであり、法然菩提心否定は、大乗仏教根本理念から逸脱し聖浄二門建立本旨反するだけでなく、善導念仏思想本義にも違背するものであったかくして本書は、専修念仏対する「聖道門」側の最初教義批判書となった。『摧邪輪』に先だつ元久2年1205年)には奈良興福寺衆徒専修念仏禁止求めて朝廷対し興福寺奏状』を提出しているが、これはもっぱら法然浄土教対す社会的現象面からの批判にすぎなかったのである。なお、本書巻頭には、法然自作の文が少ないという風聞のあることを指摘している。また、奥書には「高命を蒙り進上する」と記されているが、この「高命」とは後鳥羽上皇命令ではなかったかという説がある。 翌建暦3年6月22日グレゴリオ暦:1213年7月18日)には『摧邪輪荘厳記』(ざいじゃりんしょうごんき)1巻著述し、さらに3点論難追加し法然16過失として掲げて摧邪輪』における自らの論旨補足した

※この「法然批判」の解説は、「摧邪輪」の解説の一部です。
「法然批判」を含む「摧邪輪」の記事については、「摧邪輪」の概要を参照ください。

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