法然の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 02:25 UTC 版)
元久元年(1204年)11月、法然は、自戒の決意を示すべく記した「七箇条制誡」に門弟ら190名の署名を添えて延暦寺に送った。しかし、『一念往生義』を説く法本房行空や『六時礼讃』に節をつけて勤める法会で人気を博していた安楽房遵西が非難の的にされた。法然は行空を破門したものの、事態は収まらなかった。
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