法燈国師と一遍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:35 UTC 版)
多くの僧が法燈国師(ほっとうこくし、ほっとうこくし、無本覚心)に参じたが、時宗の開祖である一遍も参禅していた。『一遍上人語録』には「身心を放下して、無我無人の法に帰しぬれば、自地彼此の人我なし」との記述がある。さらに、一遍は、法燈国師に禅の印可を受けて師弟関係にあったと言われる。『法燈国師行状』(花園大学図書館蔵)によれば、高野山萱堂法燈国師に見参して公案「念起即覚」の禅語が与えられたという。一遍の初見参の歌に、『となふれば 仏も我も なかりけり 南無阿弥陀仏の 声ばかりして』と、師(法燈国師)に差し出す。師、未徹在と。次いで一遍は、『棄はて、身はなき物と 思ひしに さむさ来ぬれば 風ぞ身にしむ』と、ついに印可が与えられた。
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