法源としての神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 23:42 UTC 版)
神が人間の自然本性の作り手として想定されるとき、自然法の究極の法源は神となる。このことは理性にもあてはまり、神が人間に理性を与えたことが強調されるときは、合理的な法としての自然法の究極な法源もまた神となる。この傾向は特にキリスト教の自然法論において顕著である。例えば、アウグスティヌスにとって、自然法の法源は神の理性ないし意思であった。また、トマス・アキナスにとって、自然法とは宇宙を支配する神の理念たる永久法の一部である。
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