歴史認識の混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 15:09 UTC 版)
「東欧革命」「冷戦終結」「湾岸戦争」「ソビエト連邦の崩壊」といったカドラプルパンチは、世界中の人々に大きな衝撃を与え、価値観の転換を迫った。 「核」の恐怖に怯えながらも、冷戦という対立構造は、歴史学に「安定した時代」として安寧をもたらし、政治思想にも「共産主義vs反共主義」という「二者択一の安定」をもたらしていた。しかし、東欧革命は、この「安定」を覆した。「安定」を覆された混乱は大きく、歴史学では「近代」という枠組みのあり方に大きな議論を呼んだ。フランシス・フクヤマの言う「歴史の終わり」や、ナタン・シャランスキーが言う「圧制に打ち勝つ自由の力」という発想も、1989年から1991年までの足掛け3年間の出来事から生まれた発想である。 2018年現在のヨーロッパ史では、東欧革命までが「近代」という枠の中で捉えられているが、東欧革命以前から行われてきたPostmodern(ポストモダン)という近代を批判的に捉える運動すら「近代」の枠組みに入ってしまうという混乱を招いた。つまり、歴史学は、もう一度歴史の再点検を迫られたのである。 又、ソビエト連邦が崩壊した後のアメリカ合衆国では、第二次世界大戦の連合国だった時代の歴史認識が復活している。アメリカ合衆国の政治家は、単に「反共主義」なのではなく、「民主主義」と「ファシズム」を区別するようになっている。つまり、政治理念の対立軸が、「共産主義vs反共主義」から、「全体主義vs民主主義」に変わったのである。この認識が、現在のアメリカ合衆国を初めとする民主国(冷戦の西側諸国に多い)と、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、ロシア連邦、イラン・イスラム共和国といった共産国や個人独裁国との緊張を生み出している。冷戦が終わってから2020年現在まで、アメリカ合衆国を嫌悪する勢力は、専ら共産党一党独裁(中国)や個人独裁(ロシア)など全体主義の国々である。こういった国々は、グローバル市場経済への参入により経済力を高める一方で、国内外からの民主化要求を拒否・弾圧(開発独裁)し、国力や軍事力を背景にアメリカの覇権に抗し、上海協力機構などの同盟を立ち上げている。アメリカ側も「21世紀はアメリカの世紀となるべきだ」(「中国の世紀」に対するミット・ロムニーの発言)、「第二次世界大戦、ベトナム戦争での過ちはもはや許されない」(バラク・オバマの発言)と警戒を示し、日米豪印戦略対話のような対抗の動きを示している。同じく、2013年に当時の日本の安倍晋三首相が提案した「自由で開かれたインド太平洋構想」も、「共産国である中国vs民主国である日・米・台・豪・印」の構図である。 第二次世界大戦は「民主主義vs共産主義vsファシズム」が鼎立した構図とも言えるが、その後に到来した冷戦時代には、「第二次世界大戦は、『国際主義の連合国vsファシズムの枢軸国』の葛藤」という歴史認識が広まっていた。しかし、東欧革命によって、「共産主義はファシズムと同じ全体主義だった」という歴史認識が広まるようになった。この「全体主義vs民主主義」という歴史認識が、バルト三国や東ヨーロッパで「鎌と鎚」を「鉤十字」と同等に禁止する運動(前述)につながっている。
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