歴史的影響と評価とは? わかりやすく解説

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歴史的影響と評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:53 UTC 版)

コンスタンティノープル包囲戦 (717年-718年)」の記事における「歴史的影響と評価」の解説

アラブ軍による二度目コンスタンティノープル包囲戦は、674年から678年にかけての緩やかな包囲戦とは異なりビザンツ帝国首都に対して直接的十分に計画され攻撃開始し陸と海から都市を完全に封鎖しようとしていたため、最初の包囲戦よりもビザンツ帝国にとってはるかに危険なものであったビザンツ学者ラルフ=ヨハンネス・リーリエ(英語版)は、この包囲戦ビザンツ帝国の「頭を切り落とす」ためのイスラーム帝国による最後努力示しており、攻略成功した場合には残り地域、特にアナトリア容易に占領されていたであろう述べている。アラブ軍の失敗の原因は、主に本拠地シリアから非常に離れた場所での作戦行動による兵站問題にあったが、ギリシアの火使用によるビザンツ海軍優位性コンスタンティノープル要塞防御力、そしてレオン3世策略交渉力重要な役割果たしたアラブ軍による包囲失敗は、ビザンツ帝国イスラーム帝国の間の戦争の本質大規模な変化もたらしたコンスタンティノープル征服というイスラーム教徒目標事実上放棄されることになり、二つ帝国境界トロス山脈とアンティトロス山脈英語版)に沿った線で固定化され、両国定期的な襲撃反撃境界線超えて繰り返した。この絶え間ない国境紛争によって国境の町要塞頻繁に支配者入れ替わったものの、10世紀ビザンツ帝国によってアラブ側国境地域征服されるまで、国境基本的な枠組み2世紀以上も変化することがなかった。海上ではイスラーム帝国東部艦隊活動1世紀にわたり低下し西方イフリーキヤ艦隊のみがビザンツ領のシチリア島への定期的な襲撃継続した。しかし、それも752年以降急速に沈静化した。そして782年ハールーン・アッ=ラシードの下でクリュソポリスまでアッバース朝軍が進軍したことを除きビザンツ帝国首都前にアラブ軍隊現れることは二度となかった。その結果としてイスラーム教徒の側では最終的に襲撃自体がほとんど儀式的な性格帯びるようになり、大部分ジハード継続的な示威行動として位置づけられ、イスラーム共同体指導者役割象徴としてカリフによって支援された。 包囲戦結果歴史的に広範囲わたって影響及ぼした非常に重要なものであった歴史家のエッケハルト・エイコフは、地中海アラブの海となり、西ヨーロッパゲルマン人後継国家地中海文化的ルーツから切り離されることになるため、「中世終わりオスマン帝国によって起こったように、勝利を収めたカリフ中世初め時点ですでにコンスタンティノープルイスラーム世界政治的な首都にしていたならば、ヨーロッパキリスト教世界への影響計り知れないものであっただろう。」と記している。軍事史家ポール・K・デイビス英語版)は、この包囲戦の重要性次のように要約している。「イスラーム教徒侵入阻止したことでヨーロッパキリスト教徒の手留まりヨーロッパへ深刻なイスラーム勢力による脅威15世紀まで存在しなかった。この勝利トゥール・ポワティエ間の戦いにおけるフランク王国勝利同時期に起きイスラーム勢力西方への拡大南部地中海世界限定した。」。これらの理由から、歴史家ジョン・バグネル・ベリーは、718年を「エキュメニカルな年」と呼んだ一方ギリシアの歴史家のスピリドン・ランブロス(英語版)は、この包囲戦マラトンの戦いに、レオン3世ミルティアデスなぞらえている。これらの評価によって、軍事史家はしばしばこの包囲戦を、世界史の「天下分け目戦い」の一覧に含めている。

※この「歴史的影響と評価」の解説は、「コンスタンティノープル包囲戦 (717年-718年)」の解説の一部です。
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