歴代総統一覧
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1947年の中華民国憲法施行後。これ以前は国民政府主席一覧を参照。 代総統所属政党期在任期間副総統備考・その後参考資料01 蔣介石 中国国民党 11948年5月20日- 1949年1月21日 246日 李宗仁 中国国民党総裁任期満了前に辞任内戦が不利な情勢に転じつつあった中、各方面からの圧力の下、1949年1月の引退謀和書告発表後に退任を余儀なくされた。その後、憲法の定めるところにより、副総統の李宗仁が総統の職権を行使した。 0- 李宗仁 1949年1月21日- 1949年11月20日 303日 (空位) 総統代行(副総統)任期満了前に逃亡1949年11月、内戦の終結と共に国府が台北に遷った状況下で、李は胃の疾患の治療を理由に香港へ、次いでアメリカ合衆国へ飛び、これ以降台湾に戻ることはなかった。この期間、当時の行政院長であった閻錫山が軍事と政治の中枢となる職務を取り仕切ることとなった。その後、1950年3月に蔣介石は復行視事文告(復任告示)を発表、復帰を宣言し、李の代理総統の職務は自ずと解かれた。帰国しないまま副総統の職務を果たさない状況下で、監察院は、1952年1月、違法な職務怠慢を理由に李の弾劾を提案し、国民大会にも提出した。1954年3月、国民大会は総統副総統選挙罷免法に基づく副総統の職務の罷免を表決、可決し、副総統の地位は次回の選挙まで空位となった。 0- 閻錫山 1949年11月20日- 1950年3月1日 101日 李宗仁 総統代行(行政院長) 01 蔣介石 1950年3月1日-1954年5月20日 7001250000000000000♠25年 + 35日 党総裁1954年3月22日に行われた第2期総統選挙では、同党所属の陳誠を副総統候補に、中国民主社会党所属の対立候補の徐傅霖(中国語版)(副総統候補は同党所属の石志泉(中国語版))を破り、総統に再選された。 21954年5月20日- 1960年5月20日 陳誠 党総裁当初の憲法の定めるところによれば、総統は1度に限り再選可能であったため、蔣は次回の選挙には立候補することはできないはずだった。しかし、国民大会が臨時条款を改訂して憲法中の総統再選制限を凍結したことから、蔣は1960年3月21日に行われた第3期総統選挙に立候補することが可能となり(副総統候補は陳誠)、又等額選挙(中国語版)の形式が採られたことで、第1回選挙で過半数を超える票を獲得して自動当選し、2度目となる総統への再選を果たした。 31960年5月20日- 1966年5月20日 党総裁1966年3月21日に行われた第4期総統選挙では、同党所属の厳家淦を副総統候補に、等額選挙の形式を以て、第1回選挙で過半数を超える票を獲得して自動当選し、3度目となる総統への再選を果たした。副総統だった陳誠が1965年3月5日が死去したことで、副総統の地位は次回の選挙まで空位となった。 41966年5月20日- 1972年5月20日 厳家淦 党総裁蔣は、1972年3月21日に行われた第5期総統選挙で、副総統候補を厳家淦に、等額選挙の形式を以て、第1回選挙で過半数を超える票を獲得して自動当選し、4度目となる総統への再選を果たした。 51972年5月20日- 1975年4月5日 党総裁在任中に死去蔣が1975年4月5日に死去したことで、総統職は法に基づき、当時の副総統であった厳家淦が受け継ぎ、副総統の地位は次回の選挙まで空位となった。 02 厳家淦 1975年4月6日- 1978年5月20日 7000300000000000000♠3年 + 44日 (空位) 副総統から昇格第6期総統選挙が1978年3月21日に行われ、国民党所属の蔣経国(副総統候補は同党所属の謝東閔)が、第1回選挙で過半数を超える票を獲得して総統に自動当選した。 03 蔣経国 61978年5月20日- 1984年5月20日 7000900000000000000♠9年 + 238日 謝東閔 中国国民党主席1984年3月21日に行われた第7期総統選挙では、同党所属の李登輝を副総統候補に、等額選挙の形式を以て、第1回選挙で過半数を超える票を獲得して自動当選し、総統に再選された。 71984年5月20日- 1988年1月13日 李登輝 党主席在任中に死去蔣が1988年1月13日に死去したことで、総統職は法に基づき、当時の副総統であった李登輝が受け継ぎ、副総統の地位は次回の選挙まで空位となった。 04 李登輝 1988年1月13日- 1990年5月20日 7001120000000000000♠12年 + 128日 (空位) 副総統から昇格1990年3月21日に行われた第8期総統選挙では、同党所属の李元簇を副総統候補に、等額選挙の形式を以て、第1回選挙で過半数を超える票を獲得し、再選と同じ形で正式当選した。 81990年5月20日- 1996年5月20日 李元簇 党主席1996年3月23日に行われた第9期総統選挙では、同党所属の連戦を副総統候補に、民主進歩党所属の対立候補の彭明敏(副総統候補は同党所属の謝長廷)、無所属の対立候補の林洋港(中国語版)(副総統候補は無所属の郝柏村)、同じく無所属の対立候補の陳履安(中国語版)(副総統候補は同じく無所属の王清峰(中国語版))を破り、総統に再選された。又、全民直接選挙による初の総統にもなった。 91996年5月20日- 2000年5月20日 連戦 党主席第10期総統選挙が2000年3月18日に行われ、民主進歩党所属の陳水扁(副総統候補は同党所属の呂秀蓮)が、国民党所属の対立候補の連戦(副総統候補は同党所属の蕭万長)、無所属の対立候補の宋楚瑜(副総統候補は無所属の張昭雄(中国語版))、同じく無所属の対立候補の許信良(副総統候補は同じく無所属の朱恵良(中国語版))、新党所属の対立候補の李敖(副総統候補は同党所属の馮滬祥(中国語版))を破り、総統に当選した。これは、中華民国の憲法施行後、初の政権交代である。 05 陳水扁 民主進歩党 102000年5月20日- 2004年5月20日 7000800000000000000♠8年 + 0日 呂秀蓮 党主席2004年3月20日に行われた第11期総統選挙では、呂秀蓮を副総統候補に、国民党所属の対立候補の連戦(副総統候補は親民党所属の謝長廷)を再び破り、総統に再選された。今回の選挙に於ける両候補者ペアの得票率の差は僅か0.22%であり、過去最小の差となった。 112004年5月20日- 2008年5月20日 党主席第12期総統選挙が2008年3月22日に行われ、国民党所属の馬英九(副総統候補は同党所属の蕭万長)が、民進党所属の対立候補の謝長廷(副総統候補は同党所属の蘇貞昌)を破り、総統に当選した。これは、中華民国の憲法施行後、2度目の政権交代である。今回の選挙に於ける国民党籍の候補者ペアの得票率の合計は58.45%であり、過去最高の得票率となった。 06 馬英九 中国国民党 122008年5月20日- 2012年5月20日 7000800000000000000♠8年 + 0日 蕭万長 党主席2012年1月14日に行われた第13期総統選挙では、同党所属の呉敦義を副総統候補に、民進党所属の対立候補の蔡英文(副総統候補は同党所属の蘇嘉全)、親民党所属の対立候補の宋楚瑜(副総統候補は無所属の林瑞雄(中国語版))を破り、総統に再選された。 132012年5月20日- 2016年5月20日 呉敦義 党主席第14期総統選挙が2016年1月16日に行われ、民進党所属の蔡英文(副総統候補は無所属の陳建仁)が、国民党所属の対立候補の朱立倫(副総統候補は無所属の王如玄(中国語版))、親民党所属の対立候補の宋楚瑜(副総統候補は民国党の徐欣瑩)を破り、総統に当選した。これは、中華民国の憲法施行後、3度目の政権交代である。 07 蔡英文 民主進歩党 142016年5月20日- 2020年5月20日 7000600000000000000♠6年 + 57日 陳建仁 党主席2020年1月11日に行われた第15期総統選挙では、同党所属の頼清徳を副総統候補に、国民党所属の対立候補の韓国瑜(副総統候補は無所属の張善政)、親民党所属の対立候補の宋楚瑜(副総統候補は無所属の余湘(中国語版))を破り、総統に再選された。今回の選挙に於ける民進党籍の候補者ペアの得票数の合計は817万票余りとなり、過去最多の得票数となった。又、蔡英文は初の女性総統である。 152020年5月20日- 2024年5月20日 頼清徳 党主席第15代総統就任式典(中国語版)は、2020年5月20日に挙行された。
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