歴代総統一覧とは? わかりやすく解説

歴代総統一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 21:57 UTC 版)

中華民国総統」の記事における「歴代総統一覧」の解説

1947年中華民国憲法施行後。これ以前国民政府主席一覧参照。 代総統所属政党在任期間副総統備考その後参考資料01 蔣介石 中国国民党 11948年5月20日- 1949年1月21日 246李宗仁 中国国民党総裁任期満了前に辞任内戦不利な情勢転じつつあった中、各方面からの圧力の下、1949年1月引退和書告発表後に退任余儀なくされた。その後憲法定めところにより、副総統李宗仁総統職権行使した。 0- 李宗仁 1949年1月21日- 1949年11月20日 303日 (空位総統代行副総統任期満了前に逃亡1949年11月内戦終結と共に国府台北に遷った状況下で、胃の疾患治療理由香港へ、次いでアメリカ合衆国へ飛び、これ以降台湾に戻ることはなかった。この期間、当時行政院長であった閻錫山軍事政治中枢となる職務取り仕切ることとなったその後1950年3月蔣介石復行視事文告(復任告示)を発表復帰宣言し代理総統職務自ずと解かれた。帰国しないまま副総統職務果たさない状況下で、監察院は、1952年1月違法な職務怠慢理由弾劾提案し国民大会にも提出した1954年3月国民大会総統副総統選挙罷免法に基づく副総統職務罷免表決可決し副総統地位次回選挙まで空位となった。 0- 閻錫山 1949年11月20日- 1950年3月1日 101李宗仁 総統代行行政院長01 蔣介石 1950年3月1日-1954年5月20日 7001250000000000000♠25年 + 35日 党総裁1954年3月22日行われた第2期総統選挙では、同党所属陳誠副総統候補に、中国民主社会党所属対立候補の徐傅霖(中国語版)(副総統候補は同党所属石志泉(中国語版))を破り総統再選された。 21954年5月20日- 1960年5月20日 陳誠総裁当初憲法定めところによれば、総統1度限り再選可能であったため、蔣は次回選挙には立候補することはできないはずだった。しかし、国民大会臨時条款改訂して憲法中の総統再選制限凍結したことから、蔣は1960年3月21日行われた第3期総統選挙立候補することが可能となり(副総統候補陳誠)、又等額選挙中国語版)の形式が採られたことで、第1回選挙過半数超える票を獲得して自動当選し2度目となる総統への再選果たした。 31960年5月20日- 1966年5月20日総裁1966年3月21日行われた第4期総統選挙では、同党所属厳家淦副総統候補に、等額選挙形式を以て第1回選挙過半数超える票を獲得して自動当選し3度目となる総統への再選果たした副総統だった陳誠1965年3月5日死去したことで、副総統地位次回選挙まで空位となった。 41966年5月20日- 1972年5月20日 厳家淦総裁蔣は、1972年3月21日行われた第5期総統選挙で、副総統候補厳家淦に、等額選挙形式を以て第1回選挙過半数超える票を獲得して自動当選し4度目となる総統への再選果たした。 51972年5月20日- 1975年4月5日総裁在任中に死去蔣が1975年4月5日死去したことで、総統職は法に基づき当時副総統であった厳家淦受け継ぎ副総統地位次回選挙まで空位となった02 厳家淦 1975年4月6日- 1978年5月20日 7000300000000000000♠3年 + 44日 (空位副総統から昇格第6期総統選挙1978年3月21日行われ国民党所属蔣経国副総統候補は同党所属謝東閔)が、第1回選挙過半数超える票を獲得して総統自動当選した03 蔣経国 61978年5月20日- 1984年5月20日 7000900000000000000♠9年 + 238謝東閔 中国国民党主席1984年3月21日行われた第7期総統選挙では、同党所属李登輝副総統候補に、等額選挙形式を以て第1回選挙過半数超える票を獲得して自動当選し総統再選された。 71984年5月20日- 1988年1月13日 李登輝 党主席在任中に死去蔣が1988年1月13日死去したことで、総統職は法に基づき当時副総統であった李登輝受け継ぎ副総統地位次回選挙まで空位となった04 李登輝 1988年1月13日- 1990年5月20日 7001120000000000000♠12年 + 128日 (空位副総統から昇格1990年3月21日行われた第8期総統選挙では、同党所属李元簇副総統候補に、等額選挙形式を以て第1回選挙過半数超える票を獲得し再選と同じ形で正式当選した。 81990年5月20日- 1996年5月20日 李元簇 党主席1996年3月23日行われた第9期総統選挙では、同党所属連戦副総統候補に、民主進歩党所属対立候補彭明敏副総統候補は同党所属謝長廷)、無所属対立候補林洋港中国語版)(副総統候補無所属郝柏村)、同じく無所属対立候補陳履安中国語版)(副総統候補同じく無所属王清峰(中国語版))を破り総統再選された。又、全民直接選挙による初の総統にもなった。 91996年5月20日- 2000年5月20日 連戦 党主席第10期総統選挙2000年3月18日行われ民主進歩党所属陳水扁副総統候補は同党所属呂秀蓮)が、国民党所属対立候補連戦副総統候補は同党所属蕭万長)、無所属対立候補宋楚瑜副総統候補無所属張昭雄(中国語版))、同じく無所属対立候補許信良副総統候補同じく無所属恵良中国語版))、新党所属対立候補李敖副総統候補は同党所属の馮滬祥(中国語版))を破り総統当選した。これは、中華民国の憲法施行後、初の政権交代である。 05 陳水扁 民主進歩党 102000年5月20日- 2004年5月20日 7000800000000000000♠8年 + 0呂秀蓮 党主席2004年3月20日行われた第11期総統選挙では、呂秀蓮副総統候補に、国民党所属対立候補連戦副総統候補親民党所属謝長廷)を再び破り総統再選された。今回選挙に於ける候補者ペア得票率の差は僅か0.22%であり、過去最小の差となった。 112004年5月20日- 2008年5月20日 党主席12期総統選挙2008年3月22日行われ国民党所属馬英九副総統候補は同党所属蕭万長)が、民進党所属対立候補謝長廷副総統候補は同党所属蘇貞昌)を破り総統当選した。これは、中華民国の憲法施行後2度目政権交代である。今回選挙に於ける国民党籍の候補者ペア得票率合計は58.45%であり、過去最高の得票率となった06 馬英九 中国国民党 122008年5月20日- 2012年5月20日 7000800000000000000♠8年 + 0蕭万長 党主席2012年1月14日行われた13総統選挙では、同党所属呉敦義副総統候補に、民進党所属対立候補蔡英文副総統候補は同党所属蘇嘉全)、親民党所属対立候補宋楚瑜副総統候補無所属瑞雄(中国語版))を破り総統再選された。 132012年5月20日- 2016年5月20日 呉敦義 党主席14期総統選挙2016年1月16日行われ民進党所属蔡英文副総統候補無所属陳建仁)が、国民党所属対立候補朱立倫副総統候補無所属王如玄(中国語版))、親民党所属対立候補宋楚瑜副総統候補民国党徐欣瑩)を破り総統当選した。これは、中華民国の憲法施行後3度目政権交代である。 07 蔡英文 民主進歩党 142016年5月20日- 2020年5月20日 7000600000000000000♠6年 + 57陳建仁 党主席2020年1月11日行われた第15期総統選挙では、同党所属頼清徳副総統候補に、国民党所属対立候補韓国瑜副総統候補無所属張善政)、親民党所属対立候補宋楚瑜副総統候補無所属の余湘(中国語版))を破り総統再選された。今回選挙に於ける民進党籍の候補者ペア得票数合計817余りとなり、過去最多得票数となった。又、蔡英文は初の女性総統である。 152020年5月20日- 2024年5月20日 頼清徳 党主席第15代総統就任式典中国語版)は、2020年5月20日挙行された。

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