歴代本部事務局長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:30 UTC 版)
「日本ボクシングコミッション」の記事における「歴代本部事務局長」の解説
初代:菊池弘泰 2代目:中里光三郎 3代目:小島茂 4代目:安河内剛 5代目:浦谷信彰 本部事務局長は、JBCの最高責任者であるコミッショナーに代わって第一線で指揮官役を務める。 初代・菊池は、学生時代、明治大学柔道部で活躍。この時、早稲田大学柔道部の田邊宗英と知り合う。田邊が社主を務める新橋の国報新聞社では菊池が編集局長を務めた。田邊は菊池の明晰な頭脳と度胸を買い、自らが初代コミッショナーに就任する際、同時に菊池を事務局長に迎え、菊池は東京・港区芝田村町にコミッショナー事務局を置いた。菊池は強靭な精神力を持ち、契約、健康管理の書類を完備するなど事務能力に長けており、契約書をファイリングし、選手の戦績表や健康カードをナンバー制にして後のデジタルデータ化の礎石を築いた。「公報」に具体的な試合経過などを盛り込み、カラー写真を掲載するなどして充実させ、業界関係者やマスメディアにも販売した。また、調停が得意で、利害の対立から関係業者の攻撃を受けても決して相手を憎まず、一度友好関係を結んだ相手を裏切ることは絶対にしなかった。 3代目・小島は弁護士を志し、片山哲の秘書を10年務め、片山引退後に元弁護士会議長で後楽園スタヂアム社長の真鍋八千代と知り合うが、この時真鍋が2代目コミッショナーであったことから1964年にJBC事務局に入り、堅実な実務家ぶりを発揮した。初代事務局長の菊池からは「コミッションは政治だ。[略]頭を働かせて、ボクサーの権利を守ってやる、ボクサーをかばってやるのがJBCの仕事なんだ」「この業界はトラブルが多すぎる。オレは“柳に風”で、たとえ、後ろからバッサリ切られても生き残る力がある。お前はオレみたいに迫力はないけれど、知恵という武器を持っている。法律でケンカすれば勝てる。鬼に金棒だよ。お前らの新しい時代は、米国スタイルでルールが盾だ」と言われたという。小島はWBAの副会長、WBCの終身実行委員を務め、スーパーバイザーとして多くの世界戦に立ち会い、日本プロボクシング界のステイタス向上に貢献。1991年9月にはWBCの功労賞を受賞した。小島は「コミッションも欠落していることがいろいろあります。海外との連絡、応対などで人材が必要とされ、お金もかかるし……。米国のように政府の管理下にあって、お役人だとやることははっきりするのですが、日本の場合はそうはいかない。」と考えながらも、米国ルールを基に世界共通のルールを目指し、選手の安全管理のために前日計量を徹底し、1980年にはすべての選手にCTスキャンを義務付け、1998年にスタンディング・カウントを廃止した。(JBCの安全管理についてはリング禍#日本での対策を参照。) 4代目・安河内は小島から抜擢され、2006年の就任以来、辣腕をふるった。安河内の経歴等については日本ボクシングコミッション事件#安河内剛の経歴と従前の評価および日本ボクシングコミッション事件#日米コミッションの仕組みの違いを参照。
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