安河内剛の経歴と従前の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 14:37 UTC 版)
「日本ボクシングコミッション事件」の記事における「安河内剛の経歴と従前の評価」の解説
安河内剛は大学在学中にボクシングジムでボクシングを始め、プロボクサー、レフェリーのライセンスを取得し、1990年頃にJBCにアルバイト職員として採用された後、1994年1月に正規職員となり、1998年2月28日に新設された国際部長に就任し、2005年2月28日には事務局次長、2006年4月1日には本部事務局長に就任した。2007年2月28日にはJBC理事となっている。本部事務局長に就任すると同時に、WBCの理事・ランキング委員に、WBAの理事・資格委員会委員に就任し、いずれもスーパーバイザーとして国外での多数の世界戦の立会業務に従事し、2009年11月にはWBCの事故調査委員会委員長、OPBFの共同会長・事務局長・ランキング委員となった。 本部事務局長に就任後はコミッション改革に乗り出し、他国との交流を進めてJBCの国際的信用を高め、WBC総会に積極的に参加し、2年連続で同団体の最優秀事務局員に選ばれるなど、国際的な高評価を受けていた。ライセンス等の統括管理を可能とするシステムの開発・導入、就業規則の制定等を行い、暴力団排除に積極的に取り組み、ボクサーOBの警察官採用への橋渡しをし、女子ボクシングを導入、U-15にも積極的に関与した。亀田三兄弟の父・史郎が「安河内の首とったる」とすごんだ際には逆にセコンドライセンスの無期限停止処分を科し、JBC本部事務局長の持つ権限の強さを世間に示した。また、各地区事務局の事実上の独立採算制を解消し、本部が一手に管轄する体制を整えた。安河内のJBC財政再建策についてはJBC関係者が「JBCから事業の外部委託を受けていたボクシング関係者がいたが、安河内は無駄を省くためにその委託を打ち切ったことがあった」と明かしている。 『ボクシング・マガジン』2011年8月号は「そして何より試合の安全管理に対する真摯な対応は、このスポーツへの情熱の深さをとことんまでうかがわせた」と評している。同日発売の『ボクシング・ビート』は安河内を「法律を学び、物事の是非をよくわきまえていた」はずの人物と評し、「有能な官吏にも似た安河内氏の手腕は内外で高く評価されていたが、どうやら、一部の人たちの評価は違っていたようなのである」として、この騒動の実態について「安河内氏とJBC職員、試合役員との間で起こったある種の“権力闘争”だったのではないか」との見解を示した。
※この「安河内剛の経歴と従前の評価」の解説は、「日本ボクシングコミッション事件」の解説の一部です。
「安河内剛の経歴と従前の評価」を含む「日本ボクシングコミッション事件」の記事については、「日本ボクシングコミッション事件」の概要を参照ください。
- 安河内剛の経歴と従前の評価のページへのリンク