武装親衛隊所属の告白
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 04:27 UTC 版)
「ギュンター・グラス」の記事における「武装親衛隊所属の告白」の解説
78歳を迎えた2006年8月、自伝的作品『玉ねぎの皮をむきながら』において、第二次世界大戦の敗色の濃い1944年11月、満17歳でもって志願の許される武装親衛隊(陸軍・海軍・空軍は義務兵役年齢に達していないと入隊できない)に入隊、基礎訓練の終了を待って1945年2月にドイツ国境に迫るソ連軍を迎撃する第10SS装甲師団に配属され、同年4月20日に負傷するまで戦車の砲手として務めた過去を数ページに亘り記述した。同月11日付け日刊紙フランクフルター・アルゲマイネのインタビューで、この記述を事実と言明した。この言明はドイツ国内に大きな波紋を呼び、国際的に広く報道された。大手ニュース週刊誌デア・シュピーゲルも同15日付で、米軍文書からその事実を確認したと報道している。 自伝は注文が殺到したため、公刊予定を前倒しし同16日、ドイツ、オーストリア、スイスで出版されたが、ポーランドの元大統領レフ・ヴァウェンサ(レフ・ワレサ)や与党法と正義が名誉市民の称号返上を求め、グラスの出生地グダニスク市から説明要請を受けている。またドイツのグラビア週刊誌シュテルンは表紙にグラスの顔写真と親衛隊兵士のイラストを並べ「モラリストの失墜」と見出しを掲載。大衆紙ビルトは「ノーベル賞を返還すべきだ」と主張するなどマスコミから強い批判を浴びた。 報道によれば、文壇、歴史学者や政界で賛否両論が飛び交ったとされているが、ドイツ国内に於けるテレビ世論調査によれば七割近くはグラスへの信頼を表明、主に批判側に回ったのは、グラスが一貫して支持し続けた社会民主党と対立するキリスト教民主同盟であったとする指摘、ニュース専門テレビ n-tv の世論調査によれば、ノーベル賞の自主返還をすべきだとする意見も三割にとどまっている。 戦後60年以上の間、この過去の告白を拒み続けたグラスは、「それでもその重荷は、決して軽減されることはなかった」とその自伝に記し、また、隠していたことを誤りであったと認めている。 問題の火種となった自伝は8月下旬からベストセラーとなり出版部数は20万部を突破し、ポーランドでは批判が収束しているが、グラスは、一連の抗議を懸念して12月に予定されていた「国家間の和解に貢献した人物」に与えられる「国際懸け橋賞」の受賞を辞退している。取り沙汰された名誉市民の称号も、グダニスク市議会は剥奪の決議案を取り下げた。
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