武装親衛隊のフランス人部隊
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「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「武装親衛隊のフランス人部隊」の解説
詳細は「第8フランスSS義勇突撃旅団」を参照 1943年、東部戦線における多大な人的損害が問題となっていたナチス・ドイツは新たな兵力供給源を必要としていた。これによって第三帝国総統アドルフ・ヒトラーは1943年1月30日、武装親衛隊に所属するフランス人義勇兵の募集を許可した。 ドイツ陸軍反共フランス義勇軍団(LVF)が東部戦線に従軍している間の1943年春、武装親衛隊所属のフランス人義勇兵部隊を創設する運動がヴィシー政権下のフランスで始まっていた。募集に応じて集まった義勇兵の大部分はフランス民兵団(Milice française)の隊員と民間の学生であり、彼らはアルザスのゼンハイム(Sennheim)親衛隊訓練施設に移動し、そこで1個突撃旅団を結成した。旅団長には(この時期の)フランス人義勇兵の中で最も高齢かつ軍事経験豊富な元フランス外人部隊中佐ポール=マリ・ガモリィ=デュブルドSS義勇少佐(SS-Frw. Stubaf. Paul-Marie Gamory-Dubourdeau)が就任した。 それから約1年後の1944年7月、この時点で1,688名のフランス人将兵を有する旅団は「第8フランスSS義勇突撃旅団」(8. Französische-SS-Freiwilligen-Sturmbrigade) と改称した。 ちなみに、通常、武装親衛隊の外国人義勇兵の中でいわゆるゲルマン人に属するとされた外国人の階級には 「SS義勇***」(SS-Freiwillige ***、短縮形は « SS-Frw. *** ») が用いられ、ゲルマン人に属さないとされた外国人の階級には 「SS所属武装***」(Waffen-*** der SS、短縮形は「SS所属」(der SS)の部分を省略して「武装***」« W-*** ») が用いられた。これはフランス人義勇兵にも適用されたが、第8フランスSS義勇突撃旅団出身のフランス人義勇兵の階級には特別に「SS義勇」が用いられ、1944年秋の再編時に他の組織(反共フランス義勇軍団、フランス民兵団、ドイツ海軍など)から武装親衛隊に移籍したフランス人義勇兵の階級には「武装」が用いられた。
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