武装親衛部隊の出現
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「ナチス・ドイツの軍事」の記事における「武装親衛部隊の出現」の解説
詳細は「武装親衛隊」を参照 「長いナイフの夜」の後、ヒトラーは「軍は唯一の武器独占者である」と言明したが、その一方でゼップ・ディートリヒの指揮する親衛隊部隊「ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー」を「軍と並ぶ近代的武装組織にする」と約束していた。1934年7月4日にブロンベルク国防相は親衛隊に対して一個師団程度の武装を認める約束を行ったが、フリッチュ陸軍総司令官らは軍の武装独占が破壊されるのではないかと危惧した。9月14日、ブロンベルク国防相は親衛隊が「内政上の必要から」親衛隊三個連隊の武装と一個通信隊が必要であると声明した。こうして武装した親衛隊部隊「親衛隊特務部隊」の編成が行われた。 一方で強制収容所の監視に当たっていたSS警備部隊(1935年3月以降は親衛隊髑髏部隊)も独自に武装していたが、1935年5月のナチ党大会で初めて公表された。軍は新たな親衛隊の武装化に反発し、特務部隊を軍の指揮下に置こうとしたが失敗した。一方で親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーは1936年4月に親衛隊特別国境警備部隊と親衛隊補助関税官組織を合併し、事実上の第二軍隊を建設しようともくろんだが、軍の反発によって1937年10月に解散に追い込まれた。
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