武装親衛隊の問題部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:47 UTC 版)
「第36SS武装擲弾兵師団」の記事における「武装親衛隊の問題部隊」の解説
第36SS武装擲弾兵師団は、隊員の来歴ゆえか各種の犯罪行為が絶えず、隊内においても規律があって無きが如しの無秩序状態であった。また、パルチザン掃討等の戦闘任務における、あまりの残虐さに親衛隊の高官ですら「親衛隊の面汚し」と非難したという。実際に親衛隊法務本部は、部隊の責任者であるディルレヴァンガーも含めて関係者を軍法会議で裁こうとしたが、ベルガーの干渉で頓挫している。 部隊の残虐さを示す事例として次のようなものがある。 1943年8月のペリク湖周辺におけるパルチザン掃討作戦では、約15,000名の『パルチザン』を殺害した。しかし、この時捕獲したパルチザン側のライフルは、わずかに1,100挺であった。これは、多数の非戦闘員の殺害が疑われるものである。 1944年8月のワルシャワ蜂起の際には、本来の任務である鎮圧任務を行わず、ロシア人の反共主義者で構成されたカミンスキー旅団と共に非戦闘員に対する虐殺、略奪、婦女暴行などの蛮行に走った。このときは特に酷いものだったようで、部隊の解散が検討された。 なお、師団長のディルレヴァンガーは、パルチザン掃討の功績により、1944年9月30日、騎士十字章を陸軍や親衛隊本部の反対を押し切って授与されているが、このことは部隊の残虐さをいっそう酷くしたとも言われている。
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