武装解除と政治参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 02:56 UTC 版)
「4月19日運動」の記事における「武装解除と政治参加」の解説
最高裁占拠事件で国内外から非難を浴びて孤立したM-19は東西冷戦終結で東ドイツからの武器援助も得られなくなり、武装闘争を断念し1989年11月に和平協定に調印、1990年3月にセサル・ガビリア大統領の恩赦を受け武装放棄した。最終的にM-19はシモン・ボリバルの剣を返還し、合法政党M-19民主同盟となった。1990年の大統領選ではカルロス・ピサロが立候補したが暗殺され、他の幹部の多くも殺害された。M-19のアントニオ・ナバロ・ウォルフは同年の大統領選で3位につけた。同年12月の制憲議会選挙では70議席中19議席を獲得、厚生相を輩出。1991年、憲法が約100年ぶりに全面的に改正され、M-19も積極的に政治参加した。2018年大統領選に出馬した元ボゴタ市長のグスタボ・ペトロは元M-19ゲリラである。
※この「武装解除と政治参加」の解説は、「4月19日運動」の解説の一部です。
「武装解除と政治参加」を含む「4月19日運動」の記事については、「4月19日運動」の概要を参照ください。
- 武装解除と政治参加のページへのリンク