歌舞伎役者を輩出とは? わかりやすく解説

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歌舞伎役者を輩出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 05:39 UTC 版)

芝居茶屋」の記事における「歌舞伎役者を輩出」の解説

芝居茶屋出方は、専属する芝居小屋密接な関係にあったこのため自然その子弟が芝居小屋出入りするようになり、そうした者のなかには芸に目覚てそのまま役者になってしまう者も珍しくはなかった。こうした役者新たに選んだ歌舞伎屋号は、その多く実家芝居茶屋出方屋号転用したものだった後代になると、さまざまな事情により、歌舞伎門閥の方から芝居小屋方に逆に養子送り込んでくるという事例も出てくる。 こうしてできた名跡なかには大名跡として今日にまで連綿とその名が続いているものも少なくない。 以下は芝居茶屋出方関わりのあった代表的な歌舞伎役者八代目市村羽左衛門茶屋屋号菊屋 役者屋号菊屋 背景事情江戸市村座芝居茶屋菊屋善兵衛三男として生まれる。母が五代目市村宇左衛門の姉だった縁で市村座座元所有権)を継承、のちに役者に転じて八代目市村宇左衛門襲名した八代目実家屋号そのまま借用したほか、名跡市村宇左衛門」の字をあらためて「市村羽左衛門」としている。 四代目市川團十郎茶屋屋号和泉屋 役者屋号高麗屋旧名二代目松本幸四郎として)→ 成田屋四代目市川團十郎として) 背景事情江戸中村座芝居茶屋和泉屋勘十の子として生まれる(ただし実は二代目市川團十郎実子だったともいう)。その後初代松本幸四郎養子となり二代目松本幸四郎襲名。さらに二代目市川團十郎養子となって四代目市川團十郎襲名した初代尾上菊五郎茶屋屋号音羽屋出方役者屋号音羽屋 背景事情京の都太夫座(みやこ まんだゆう ざ)の芝居茶屋出方営んでいた音羽屋半平の子として生まれる。その後女形として京で名を挙げ初代尾上菊五郎襲名した屋号選んだ音羽屋」は、実家屋号転用したものである六代目市川團十郎茶屋屋号和泉屋 役者屋号成田屋 背景事情五代目市川團十郎実子だが、庶子だったため、いったん五代目従弟にあたる中村座芝居茶屋和泉屋勘十郎の養子となり、後改め五代目團十郎養子となって市川宗家継いだ五代目澤村宗十郎茶屋屋号泉屋 役者屋号紀伊國屋 背景事情市村座芝居茶屋泉屋出方を営む濱崎長吉の子として生まれる。 四代目澤村宗十郎門人として芸を磨き、のち宗家継承して五代目澤村宗十郎襲名した初代實川延若茶屋屋号河内屋 役者屋号河内屋 背景事情大坂大工の子として生まれ三歳のとき芝居茶屋河内屋庄兵衛養子となる。のち二代目實川額十郎門人となり、さらに四代目尾上菊五郎認められ養子となり尾上梅幸襲名音羽屋後継者擬せられる。しかし養父死後尾上家から離縁されたため、大坂戻って師匠・額十郎俳名だった延若を名乗り初代實川延若襲名したこの際師匠屋号井筒屋」は使わずに、あえて実家屋号河内屋」を転用した。 初代市川右團次茶屋屋号鶴屋 役者屋号鶴屋高嶋屋 背景事情四代目市川小團次実子として生まれたが、すでに小團次に養子初代市川左團次がおり、これをあえて役者にする気はなかった。そこで生後間もなく大坂道頓堀芝居茶屋鶴屋丁稚奉公出されるが、実際体よく養子出されたようなのだった。しかし成長して商いには興味示さず芝居真似事ばかりしていたので実家追い返され晴れて役者に転身。のち初代市川右團次襲名する際に屋号選んだ鶴屋」は養育家の屋号転用したもの。やがて実家屋号高島屋」に改めることにしたが、養兄初代左團次や異母弟五代目小團次に遠慮して、「島」の字を「嶋」に差し替え高嶋屋」とした。 三代目澤村田之助茶屋屋号紀伊國屋 役者屋号紀伊國屋 背景事情五代目澤村宗十郎次男として生まれる。天才女形として三代目澤村田之助襲名翌年には16歳にして立女方となるなど、化政期における女形第一人者だったが、間もなく舞台上の事故から脱疽患い四肢切断役者引退余儀なくされた。引退後芝居茶屋紀伊國屋立ち上げてその経営にあたり明治初年にはこれを芝居小屋澤村座に発展させている。 二代目河原崎権十郎茶屋屋号山崎屋 役者屋号山崎屋 背景事情日本橋喜昇座芝居茶屋山崎屋の子として生まれる。九代目市川團十郎門人として役者になり、後に十一代目片岡仁左衛門門人となって大坂修業帰京の後師匠九代目團十郎の前名を継承して二代目河原崎権十郎襲名した五代目中村時蔵をはじめ小川家一門茶屋屋号萬屋 役者屋号播磨屋萬屋 背景事情三代目中村歌六の妻は、市村座芝居茶屋萬屋を営む小川右衛門の娘・かめだった三代目歌六(本名波野)には、小川かめとの間に三男このうち成長したのは初代中村吉右衛門本名波野次郎⦆と三代目中村時蔵本名小川米吉郎⦆の二人)を、妾の山本ろくとの間に十七代目中村勘三郎本名波野聖司)を儲けた真ん中三代目どうした訳か母の実家愛着があり、自ら母方の姓・小川名乗ったばかりか父方の「播磨屋」から独立して新たに一家起したいと考えていたが、生前それは実現しなかった。しかし1971年、四男の初代中村錦之助(のちの萬屋錦之介)をはじめとする小川家一門が「播磨屋」から独立新たに萬屋」を立てこれを名乗った

※この「歌舞伎役者を輩出」の解説は、「芝居茶屋」の解説の一部です。
「歌舞伎役者を輩出」を含む「芝居茶屋」の記事については、「芝居茶屋」の概要を参照ください。

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