歌舞伎役者時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:29 UTC 版)
暁星小学校卒、旧制暁星中学校を2年で中退。初名は中村 錦之助。吉右衛門劇団立女形を父に持つ歌舞伎役者の御曹司で、1936年11月歌舞伎座で初舞台。長兄・種太郎(のち二代目中村歌昇)、次兄・梅枝(のち四代目中村時蔵)、三兄・初代中村獅童と同時で、満4歳であった。女形・立役(男役)ともに務めて歌舞伎界にて役者修業を積んでいた。 特に可憐な女形として人気を集めるなど評価が高かったが、四男であり、歌舞伎界で主役級俳優を目指すのは困難な状況で端役に甘んじることが多かった。すると、当時美空ひばりを抱え、その相手役として若手男優を探していた新芸術プロから映画界へのスカウトを受け、錦之助は転身を考えた。しかし歌舞伎役者たちによる「映画転出は許さない」との抗議殺到から分かるように、当時の梨園では「役者たちに歌舞伎・映画両方での活動を許せば、映画で人気を得た若造たちに梨園の秩序をかき乱される」という見方が大勢であり、父の時蔵であっても「中途半端はいけない。映画界に行くなら歌舞伎を辞めて行きなさい。もし映画で失敗しても歌舞伎に戻ることは許さない」と錦之助に決断を迫ったといわれる。
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