歌手・俳優・タレント
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「ビートたけしのオールナイトニッポン」の記事における「歌手・俳優・タレント」の解説
村田英雄 ひょんな事から「村田英雄の頭はデカい」という話になり、リスナーからネタを募ったところ村田に馴染みのなかった若年層から人気が爆発、「ムッチーブーム」の火付け役となった。敬意とおちょくりを交え、村田のことは「村田先生」と呼ぶのが通例だった。1981年5月のコーナー放送中に、当時まだ面識の無かった村田からスタジオに電話が入り、初めは録音だと思っていたたけしは、生電話だと知るや応対にたじろいでいた。また、後に村田を正式なゲストとして招き、たけしが村田の親分とともに三波組を叩き斬る任侠物のドラマ「男の盃」を放送したこともある。最初は滑稽なコント劇の予定だったが、村田が本気で乗り気になったため、作家の高田文夫が村田を褒め称える内容に急遽書き換えた。 高倉健 たけしの役者論である「役者は存在感だけあれば下手でも構わない。高倉健だってそんなに上手くは無い。オレもやろうと思えば役者なんていつでも出来るが、役者には漫才は出来ないだろう」をインタビュー記事で読み、「面白い奴だ」と興味を持つ。後に映画『夜叉』でたけしと共演。その際に田中邦衛と漫才をやろうとした等のエピソードや、映画撮影の裏話などがネタにされた。その後も1〜2年に1度は食事を共にしたり携帯電話で連絡を取り合う等、たけしとは高倉が亡くなるまで交流があった。 伊丹幸雄 初め視聴者から番組宛てに、伊丹のアイドル当時の「ウィスパーカード」というメッセージ入りソノシートが届き、番組で流したところ余りのキザな内容に人気が出て本人もゲスト出演。後に『オレたちひょうきん族』の出演のきっかけになる。 安岡力也 当時は少し忘れかけられた存在だったが、様々な映画で脇役を勉めていて、たけしが見掛けていたところから『オレたちひょうきん族』の「ホタテマン」に抜擢し、以後、安岡は再ブレイクを果たした。当時大人だった安岡の強面かつコミカルな個性から、架空の武勇伝などを紹介する。これも大半はハガキ職人の創作。 大橋巨泉 当時たけしと共演が多く、番組での裏話や「無理やりゴルフにつきあわされる」、「無理やりリゾートマンションを買わされる」といったようなプライベートのエピソードがネタにされた。 逸見政孝 当時フジテレビアナウンサー。たけしとはテレビ番組での共演から親交を深め、その人となりがネタにされた。特に当番組に出演した際に、著書『マジメまして逸見です』10冊をリスナーにプレゼントしたが応募が8通しかなく、「自分でハガキを選ぶ」と言う逸見に困ったというエピソードは有名。その後も度々共演し、逸見が亡くなるまで親交があった。 深澤弘 当時ニッポン放送アナウンサー。後に同社専務取締役。「ミスターショウアップナイター」と言われたスポーツ実況の第一人者。たけしが野球中継のゲスト解説で関根潤三と共に度々共演。「ニッポン放送の深澤さん」として、その人となりや裏話が良くネタにされた。 塚越孝 当時ニッポン放送アナウンサー。後にフジテレビに移籍(平成24年逝去)。番組直前の時報前コメントを担当。たけしがそれを受けて「また塚が余計な事を言ってやがるな」等とコメントするのが定番だった。塚越の番組『朝からたいへん!つかちゃんです』も度々ネタにされ、たけし欠席時には代打も務めるなど当番組には縁が深い。 和田弘とマヒナスターズ ひょんな事から番組内で話題になり、1988年新年会企画などに出演した。後に『北野ファンクラブ』で共演したり、マヒナ40周年記念アルバムでも共演するなど長い付き合いになる。 伊吹二郎 「いのちの女」などのヒット曲を持つ演歌歌手。その人となり等がネタになり番組に乱入した事もある。番組では「銀座の伊吹さん」と呼ばれていた。
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