花王ワンダフルクイズ
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花王ワンダフルクイズ | |
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1957年から収録が行われていた読売ホール
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ジャンル | クイズ番組 |
製作 | |
製作 | 日本テレビ |
放送 | |
映像形式 | モノクロ放送→カラー放送(1959年4月24日、及び5月8日以降[1]) |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | ![]() |
シルエットクイズ | |
司会者 | 木下華声 今泉良夫 |
放送期間 | 1954年8月 - 1955年12月 |
放送時間 | 金曜 19:30 - 20:00 |
放送分 | 30分 |
花王ワンダフルクイズ | |
司会者 | 今泉良夫 |
放送期間 | 1956年1月 - 1962年6月1日 |
放送時間 | 金曜 19:30 - 20:00 |
放送分 | 30分 |

『花王ワンダフルクイズ』(かおうワンダフルクイズ)は、1956年1月から1962年6月1日まで日本テレビで放送されていたクイズ番組である。それ以前にも1954年8月から1955年12月まで『シルエットクイズ』と題して放送されていた。放送時間は毎週金曜19:30 - 20:00 (日本標準時)。番組開始から暫くはモノクロ放送だったが、1959年4月24日及び5月8日以降は、カラー放送となった[1]。
概要
スクリーン・プロセスを利用したクイズを出題。スクリーンに映画や芝居の主人公のシルエットを映し出し、それを解答者たちに当てさせていた[2]。1957年に有楽町の読売会館にテレビホールが完成してからは、同ホールでの公開放送となった。
『シルエットクイズ』時代の前期にはノンスポンサーで放送されていたが、後に三菱電機一社提供へ移行した。その後、1956年1月から花王石鹸(後の花王)一社提供になるのに伴い、番組は当時同社が製造・販売していた合成洗剤「ワンダフル」に因んだタイトルに変更した。なお、テレビでは初の花王提供番組である。
この頃には、視聴者が電話・はがきで解答に参加するコーナーが人気を博していた[3]。
尚この番組は、1959年4月8日に日本テレビが当時行っていたカラー実験放送に於いてCMの放送が郵政省から認可された[4]のを受け、4月24日に初めてカラー放送を行い、その翌5月8日からは、毎週カラー放送となった[1]。当番組のカラー放送開始当時は、未だ日本ではカラーテレビの販売は行われていなかったものの、日本テレビが設置したカラー街頭テレビを通じて、当番組をカラーで見ることができた[5]。
司会
最終回
1962年6月1日放送の最終回では「さようならワンダフルクイズ」と銘打ち、第1回からの解答者およそ70人全員をスタジオに招いての華やかなショーをパーティー形式で行う模様を放送した。当時今泉がNHKの『お笑い三人組』で共演していた三代目江戸家猫八・三遊亭小金馬(後の四代目三遊亭金馬、二代目三遊亭金翁)も途中から参加し、賑やかな笑いを届けた[6]。
放送局
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- 日本テレビ(製作局):金曜19:30 - 20:00
- 新潟放送(1961年2月末まではラジオ新潟テレビ):金曜19:30 - 20:00[7]
- 北日本放送:金曜19:30 - 20:00[8]
- 北陸放送:金曜19:30 - 20:00[8]
- 福井放送:金曜19:30 - 20:00[9]
- 大阪テレビ(後の朝日放送テレビ、1956年12月開局からよみうりテレビ開局まで)→よみうりテレビ(1958年8月開局から番組終了まで):金曜19:30 - 20:00
脚注
- ^ a b c 朝日新聞1959年4月24日、5月8日共に朝刊5ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、74頁。NDLJP:11954641/50。
- ^ 『テレビ夢50年 番組編2 1953〜1960』日本テレビ50年史編集室、2004年、23頁。
- ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、126-127頁。NDLJP:11954641/76。
- ^ 読売新聞 1959年4月11日朝刊 P.7 テレビ欄「カラー受像機設置場所」(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
- ^ 『東京新聞』東京新聞社、1962年6月1日付のテレビ欄の番組解説。
- ^ 『新潟放送四十年のあゆみ』(1992年10月15日、新潟放送発行)69p「テレビ初期のプログラム(復元)1959年(昭34)2月」より。
- ^ a b 『北日本新聞』1960年10月7日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1960年10月7日付朝刊、テレビ欄。
関連項目
いずれもシルエットクイズを行っていた番組。
日本テレビ 金曜19:30 - 20:00 【ノンスポンサー枠→三菱電機一社提供枠→花王石鹸一社提供枠】 |
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
弥次喜多道中双六
※19:30 - 19:50 ムービーフラッシュ ※19:50 - 20:00 |
シルエットクイズ
(1954年8月 - 1955年12月) ↓ 花王ワンダフルクイズ (1956年1月 - 1962年6月1日) |
ゲームの王様
(1962年6月8日 - 11月9日) |
シルエットクイズ
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「アップダウンクイズ」の記事における「シルエットクイズ」の解説
1967年2月26日放送分から登場。番組の目玉コーナーといわれ、最終回まで続いた。これはかつてNHKで放送された『私の秘密』、『それは私です』のコンセプトを取り入れたものといえる。なお、当初は「ゲストクイズ」という名称だった。 ゲストをシルエットで見てもらい、3つのヒントから当てるもので、正解すると第1ヒントなら3段、第2ヒントなら2段、第3ヒントなら1段ゴンドラが上がる。第1ヒントはゲストの性別と職業、第2ヒントは簡単な経歴、第3ヒントは具体的なことだったが、後に第1ヒントはシルエットのみに改められた。第3ヒントではシルエットが横向きになる。 ゲストは歌手・俳優・タレントなどの芸能人、プロ野球選手・大相撲の力士・プロボクサーなどのプロスポーツ選手、その他政治家や作家・評論家・芸術家・漫画家など、時の話題の人たちがゲストとして呼ばれた。ただし、スポンサーがロート製薬 協賛日本航空だった関係から、放送当時に製薬会社や航空会社の同業他社の広告に出ていた人は、ゲストとして呼ばれなかった。 当初は中CM明けに行われており、開始音楽やテロップは無かったが、後にセットをバックに開始のジングルを流した。ゴンドラが色分けされてからはジングルを行進曲のファンファーレ調に変更すると同時に、「シルエットクイズ」とテロップが出る様になる。西郷時代には、中CM手前に移動、ジングルを一新し、シルエットをバックにテロップが出るようになった。一時期このクイズの正解者にはゲストからゲスト賞が進呈されていた。
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