権限と役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 14:20 UTC 版)
「フィリピンの副大統領」の記事における「権限と役割」の解説
1987年憲法は「スペアタイヤ」と呼ばれる役職の元となる副大統領に対する明確な権限を与えなかった。しかし憲法第7条第3節は確認の義務なく副大統領が閣僚に任命される可能性を定めた。任命は通常憲法第7条第16節に従って任命委員会(英語版)により確認を受けなければならない。 番号氏名兼務任期開始任期終了大統領コモンウェルス時代 1 セルヒオ・オスメニャ 公教育大臣 1935年11月15日 1939年4月18日 マヌエル・ケソン 公教育、保健及び厚生大臣 1941年12月24日 1944年8月1日 第3共和国 2 エルピディオ・キリノ 外務大臣 1946年7月15日 1948年4月15日 マヌエル・ロハス 1948年4月17日 1950年1月6日 エルピディオ・キリノ 3 フェルナンド・ロペス 農務大臣 1950年12月14日 1953年 4 カルロス・ガルシア 外務大臣 1953年12月30日 1957年3月18日 ラモン・マグサイサイ 1957年3月18日 1957年8月22日 カルロス・ガルシア 5 ディオスダド・マカパガル なし 6 エマヌエル・ペラエス 外務大臣 1961年12月30日 1963年7月 ディオスダド・マカパガル 7 フェルナンド・ロペス 農務大臣 1965年12月30日 1971年 フェルディナンド・マルコス 第4共和国-副大統領職廃止 第5共和国 8 サルバドール・ラウレル 外務大臣 1986年3月25日 1987年9月17日 コラソン・アキノ 9 ジョセフ・エストラーダ 大統領付反犯罪委員会議長 1992年6月30日 1997年6月4日 フィデル・ラモス 10 グロリア・アロヨ 社会福祉及び開発大臣 1998年6月30日 2000年10月12日 ジョセフ・エストラーダ 11 テオフィスト・ギンゴナ 外務大臣 2001年2月9日 2002年7月15日 グロリア・アロヨ 12 ノリ・デ・カストロ 住居及び都市開発評議会議長 2004年6月30日 2010年6月30日 13 ジェジョマール・ビナイ 住居及び都市開発評議会議長 2010年6月30日 2015年6月30日 ベニグノ・アキノ3世 14 レニー・ロブレド 住居及び都市開発評議会議長 2016年6月30日 2022年6月30日 ロドリゴ・ドゥテルテ 15 サラ・ドゥテルテ 2022年6月30日 現職 ボンボン・マルコス 1935年憲法施行から副大統領は大統領が行う要請を数回拒否しながら閣僚に任命されてきた。オスメニャは1935年11月にフィリピンコモンウェルスの発足とともに最高位の大臣職が与えられた。1946年の独立以前はこの大臣職は嘗ては副総督(アメリカ人)にのみ与えられた公教育大臣であった。オスメニャ副大統領は1935年から1939年のこの大臣職と第二次世界大戦中の戦時内閣の同様の職に就いた。 独立後は内閣最高の職は、エルピディオ・キリノ副大統領に与えられた外務大臣の職になった(今日に至るまで公式の外交儀礼上依然として最高位の大臣の地位である)。フェルナンド・ロペス(英語版)副大統領は1949年にキリノの副大統領になると外務大臣を辞退した。しかしカルロス・ガルシア副大統領とエマヌエル・ペラエス(英語版)副大統領も、サルバドール・ラウレル(英語版)副大統領とテオフィスト・ギンゴナ2世(英語版)副大統領が外務大臣に就任したように第五共和国で復活した伝統として外務大臣に就任した。グロリア・アロヨは社会福祉及び開発大臣に就任した。閣僚でない大臣職は、大統領付反犯罪委員会議長がジョセフ・エストラーダ副大統領に、住居及び都市開発調整評議会議長がノリ・デ・カストロ副大統領、ジェジョマール・ビナイ副大統領、レニー・ロブレド副大統領に与えられた。 第三共和国の副大統領の中で現職大統領と同じ政党出身でなかった最初の公選副大統領であったためにディオスダド・マカパガルだけは閣僚の地位が与えられなかった。
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