概要と経緯・目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 16:53 UTC 版)
佐賀県の南部を占める佐賀平野は、勾配が著しく緩い低平地が広がるため河床勾配も緩く、有明海の最大6 mに及ぶ干満差が排水を妨げるため、河川洪水や内水氾濫による浸水被害が頻発する。平野・農地面積に対して脊振山地の集水域は狭く、水源に乏しい。また、干満差により塩水が遡上する河川の中下流域では、川からの取水は困難である。こうした環境から不足する水需要を地下水の汲み上げに頼ったことから、昭和30年代後半より大規模な地盤沈下も社会問題となっていた。 これらの課題を克服すべく、長い導水路で筑後川・城原川・嘉瀬川を結び用排水の融通を可能とした。治水面では、佐賀市街の北に位置する巨勢川と黒川の合流部に容量2,200千立方メートルの巨勢川調整池を設けて河川流量に余裕を確保、併せて平野西部のみやき町から佐賀市にかけての7つの河川に内水を排水するポンプ場を設け、洪水リスクを低減。利水面では、平野西部の嘉瀬川西側や六角川流域の市町に水道用水を導き、また嘉瀬川や城原川など佐賀平野の河川の渇水を予防、佐賀市街の水路の浄化用水を補給することとした。 事業主体を建設省(後に国土交通省)として1965年(昭和40年)に予備調査を開始、1974年(昭和49年)に実施計画調査に移行、1979年(昭和54年)4月佐賀河川総合開発工事事務所の設置と共に事業に着工し、遅れて1986年(昭和61年)10月に全体の事業計画を決定した。1997年(平成9年)3月には東佐賀導水路、2001年(平成13年)3月には西佐賀導水路がおおむね完成している。また排水機場は完成次第、1991年から順次運転を開始し2006年から全か所運用している。 巨勢川調整池は1990年(平成2年)10月に着工する。集落跡の遺跡が発見されたため、1996年まで発掘調査を行った。工事を再開後の2003年(平成15年)今度は貝塚が発見され、2007年まで発掘調査を行い、遺跡(東名遺跡)の保存措置を採りながらの工事となった。これにより工期は長期化し、2009年(平成21年)3月に竣工となった。工期は昭和54年度(1979年度)から平成20年度(2008年度)までの29年間に及び、総工費は995億円に上る。
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