巨勢川調整池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 16:53 UTC 版)
巨勢川調整池(こせがわちょうせいち)。計画高水時の容量(洪水調節容量)220万 m3、面積は約55ha、概ね東西900m・南北600mの規模。最低水位はT.P. -1.50 m、計画高水位がT.P. +5.50 m、堤防天端高がT.P. +6.10 m。2つの流入堰と5つの流入水門がある。 調整池が所在する佐賀市金立町千布の沖田地区は、もともと南で巨勢川と市の江、北で巨勢川と黒川が合流する低地であり、江戸時代元和年間(1615年 - 1624年頃)前後に成富兵庫茂安の指揮によって周辺で治水・利水のための改良工事が行われて以来、自然遊水地となっていた。川の堤防は佐賀城下町側で高く沖田地区側で低く作って増水時に溢れさせ、佐賀江の引き潮を待って流下させる設計と考えられている。そのため沖田は「3年に1度米が収穫できればよい方」とも言われ、免税地となっていた。しかし近代に入ると税負担は他地区と同等になり、条件の悪い農地となっていた。 詳細は「東名遺跡」を参照 調整池内の中央部に南北に並ぶ形で、東名遺跡(ひがしみょういせき)と名付けられた縄文時代早期(約7,000年前)の貝塚が6箇所埋蔵されている。巨勢川調整池の掘削工事中の2003年に貝層や木製品が発見され、2004年9月からの本調査では、貝塚の貝層から土器石器や動物性遺物が、それより低い位置にある縁辺部の粘土層から編みかごをはじめとする多くの植物性遺物が出土した。規模の大きさや希少性から遺跡の保存への声が高まったため、有識者を招聘して「東名遺跡保存検討委員会」を開催、貝塚上部に盛土して酸素を遮断し酸化による劣化を防ぐ工法を採用し、遺跡の保存と事業の継続を両立させている。出土品は佐賀導水路操作室の中の東名縄文館に展示されている。 また、調整池内はススキやヨシの草原が分布する広大な水辺になっており、冬季に多くの渡り鳥が観察される。マガモ、オナガガモなどのカモ類を主として60種以上が確認されている。
※この「巨勢川調整池」の解説は、「佐賀導水事業」の解説の一部です。
「巨勢川調整池」を含む「佐賀導水事業」の記事については、「佐賀導水事業」の概要を参照ください。
- 巨勢川調整池のページへのリンク