概要と歴史的景観
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「中央 (甲府市)」の記事における「概要と歴史的景観」の解説
「甲府中央商店街」および「裏春日」も参照 甲府市の中心街である丸の内地区の南東側に位置している。東西に跨って城東通り(旧甲州街道)が通っており、通りの北側に二丁目と三丁目、南側に一丁目、四丁目、五丁目となっている。 特に一丁目は丸の内一丁目と同様に甲府市の中枢的存在であり、日本銀行甲府支店をはじめ甲府地方裁判所や甲府警察署などが連なり、また、「かすがもーる」や「甲府銀座通り」などいくつもの商店街が存在する。かつては山梨県内最初の百貨店である「松林軒デパート」(のちの甲府会館)が存在したが老朽化により取り壊され、現在はビジネスホテルとなっている。 江戸時代には錦町にあたる一丁目や堅近習町にあたる二丁目は甲府城二ノ堀郭内の武家地で追手門前にあたり、甲府藩主柳沢家臣武家屋敷や江戸後期には甲府勤番追手役宅や薬園、学問所である徽典館などの施設も所在していた。一丁目にあたる横近習町の浄土宗寺院・歓喜院には寛文初年頃に時の鐘が設置されたと考えられており、宝永5年(1708年)に愛宕町へ移転されるまで時報や変事の報知を行っていた。 二ノ堀郭外の二丁目から五丁目にあたる魚町や柳町、八日町などは甲府城下町における政治的・経済的中心地であった。特に八日町には高札場や甲府町年寄坂田家の屋敷などが存在し「府中一のよき所」『裏見寒話』と呼ばれ、『甲府買物独案内』では「甲府繁盛之図」として八日町の賑わいが描かれている。また、南側の緑町(甲府市若松町)には芝居小屋である亀屋座が存在した。江戸後期には甲府城下で大通りを幕絵で飾る甲府道祖神祭礼が成立し、甲州街道沿いの八日町では歌川芳虎「和漢名将伝」の幕絵などが飾られた。 魚町は中央二丁目から五丁目にかけて存在した。魚町は南北通り(魚町通り)沿いの町人地で、魚介類や乾物を扱う商人が集住したことに由来する。『諸国道中商人鑑』によれば、煙草問屋の村田屋善十郎や水菓子問屋の上総屋長右衛門、薬種屋の早川元七らの豪商が店を構えた。甲州街道沿いの八日町や魚町、劇場の存在した緑町などは料理屋が多いことでも知られる。 江戸時代後期の甲斐国には、中道往還や富士川舟運を通じて駿河・相模方面からの海産物が多く移入されていた。魚町二丁目には1892年(明治25年)に甲府魚市場が開設し、戦後の1973年(昭和48年)に甲府市国母に甲府中央卸売市場が開設されるまで甲府近郊における海産物流通の中心地であった。 江戸時代には中央二丁目の境町に甲府城下町における牢が存在しており、『甲斐国志』によれば牢番は三井氏・藤曲氏の両氏が代々務めていたという。 近代には甲府城の旧郭内や武家屋敷にあたる西側の丸の内地域が新市街として開発され、市域の中心も西側へ移る。
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概要と歴史的景観
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甲府城の西側、平和通りの東側に所在する。中心に本館と別館、議事堂があり、それを覆う形で北別館、西別館、防災新館がある。かつては南側に第一南別館と第二南別館が、県道甲府山梨線を隔てて東別館が存在したが、県庁整備による新館建設(後述)に伴い2009年(平成21年)12月より順次閉鎖された。 県庁舎内に山梨県警察本部があり、旧館や議事堂地階、北別館などに分散していたが、防災新館竣工と共に当建物へ集約されている。 所在する甲府市丸の内一丁目は甲府城内堀で囲郭された内城区域にあたり、所在地は城域南西の楽屋曲輪に比定される。北側には屋形曲輪、北東側には本丸・二の丸が所在する。楽屋曲輪は東西・南側を内堀に画され、曲輪には書院や長屋、城門などの諸施設が存在していた。南の県庁前スクランブル交差点付近には楽屋曲輪から二の堀で囲郭された武家地に通じる追手門が存在し、追手小路には甲府勤番追手役宅や勤番士屋敷、学問所である徽典館などが所在していた。また、東側にも武家地に通じる柳門が所在していた。 明治初期には内堀・二ノ堀が埋め立てられ官公庁用地として開発され、内城区域も本丸付近を覗いて楽屋曲輪をはじめ屋形曲輪・清水曲輪付近は開発され県庁や甲府駅をはじめ諸施設が立ち並んでいる。
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