松村介石と道会の来歴とは? わかりやすく解説

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松村介石と道会の来歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 14:53 UTC 版)

道会」の記事における「松村介石と道会の来歴」の解説

1859年安政6年)に播磨明石藩士の家に生まれる。父は武士漢学者であったため、幼少の頃より『大学』『中庸』はじめ、四書五経親しむ。 1870年11歳のとき上京安井息軒の門に入塾1874年15歳神戸宣教師に学ぶ。 1876年17歳横浜行き改革派教会宣教師ジェームス・バラの塾に学ぶうちキリスト教に入信する。のち、外国人宣教師との折り合い悪くなり、バラとも袂を分かつことになる。 1882年12月日本組合基督教会高梁教会牧師就任その後、『福音新報』、『基督教新聞』の編集従事する。その活躍から、内村鑑三植村正久田村直臣と共に明治キリスト教四村一人呼ばれ宗教界重きをなした。 1885年大阪一致教会牧師より王陽明の「啾啾吟」を教えられ甚く感銘しそれ以来王陽明思想にも傾倒する1907年明治40年)、新たな教会を開くことを決意大手町商工中学2階借りて毎日曜日説教、これを「一心会」と名付けた古今東西宗教歴史研究の結果「道は一なり、すべての宗教道徳根本義は、信神、修徳愛隣永生四綱領帰する」と確信今後時代合った万人宗教をめざし、10月には「一心会」を改めキリスト教神道儒教老荘仏教包含した日本教会」を創立キリスト教一新派として布教開始した1908年機関誌『道』創刊1911年教会内に「不朽青年会」を結成毎月青年のための弁論会を開催1912年明治45年)、「日本教会」を「道会」と改称大倉孫兵衛森村市左衛門財界人援助受けて宣教活動進めた1915年松濤にいた鍋島直映侯爵斡旋受けて東京市外中渋谷神山現・神山町)に道会本部事務所新築移転。同敷地内に拝天堂建設にもとりかかる青年知識人多数会員になった1916年12月、拝天堂竣工同地青年学生のための寄宿舎神山寮」を新築1936年肺炎起こしたのを機に会長辞し顧問となる。 1939年昭和14年11月29日動脈硬化により80歳で死去多磨霊園に眠る。

※この「松村介石と道会の来歴」の解説は、「道会」の解説の一部です。
「松村介石と道会の来歴」を含む「道会」の記事については、「道会」の概要を参照ください。

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