木造泰澄及二行者坐像とは? わかりやすく解説

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木造泰澄及二行者坐像

主名称: 木造泰澄及二行者坐像
指定番号 3507
枝番 0
指定年月日 2003.05.29(平成15.05.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 泰澄像内に明応二年五月の銘がある
員数 3躯
時代区分 室町
年代
検索年代
解説文:  泰澄白山開基者と伝えられる奈良時代僧侶で、本三像は大谷寺開山堂伝えられた。大谷寺泰澄一四歳で登拝、修行したとされる越知山【おちさん】の越知神社別当寺。『泰澄和尚伝』(金沢文庫本によれば白鳳十一年(異説あり)越前国生まれ一四歳で越知山登り修行積み、浄定【きよさだ】行者と臥【ふせ】行者弟子とした。三六歳で白山を開く。のちさまざまな効験があり、晩年越知山帰り神護景雲元年七六七)八七歳で入寂した。
 泰澄作例としては岐阜・大師講の建長八年一二五六)銘の像が古いが、作行は上手ではない。他に、江戸時代のもので、大谷寺所蔵別の彫像一具白山美濃馬場の諸寺に数点の彫像画像がある。像容は手の構え持物異同のあるものがあるが、岐阜阿名院画像室町時代)が、泰澄像の左手持物の違いを除いて概ね本像と一致する
 木造ヒノキか)、割矧造彩色玉眼嵌入三体とも頭体を一材から彫出し前後に割矧ぎ、頭体各部内刳入れるが、泰澄像は頸部刳り残し、二行者像は底を刳り残す。頭部体部着衣の襟際で割矧ぐ。さらに泰澄像は右肩から下がって地付に至る位置右体側部を矧ぎ、浄定行者は両肩から腋下、袖内側通って地付に至る位置で各割矧ぎ、臥行者は左肩から左腋下通り地付に至る位置で左体側に別材を矧ぎ右肩から前膊内側、袖内側通って地付右方に至る位置で割矧ぐいずれも体部背面に別材を矧ぐ
 各像とも体部比べて頭部大きめにつくり、面貌は各像主の年齢差に従って丁寧に表現し分ける。しかしその面貌は、像主の真に迫るというよりも概念的な写実とどまっているのは、頂相除いて南北朝から室町時代肖像彫刻見られる一般的な特徴である。泰澄像内に明応二年(一四九三)の墨書があり、それに続く面が削り均されそこに大永八年一五二八)の修理銘が記される削られ部分明応銘の続きあったかどうかはわからないが、明応二年は造像時期を示すものと考えられる
 臥行者の像底にある銘も大永八年修理に際して記されたものである修理大仏師叶円は中納言とも称され当時京都貴顕交わりのあった仏師である。造立後わずか三五年にして修理され背景に、当時越前支配していた千秋氏の外護推測する見方がある。
 数点確認される泰澄及二行者像のなかで本像は最も優秀で室町時代肖像彫刻として一定の評価なされる泰澄入寂地に伝来した根本像としても貴重な作例である。



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