南北朝から室町時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 06:37 UTC 版)
その後はしばらく記録に登場しなくなるが、鎌倉幕府が滅んだあとの建武2年(1335年)に起こった中先代の乱では、海野幸康が諏訪氏や根津氏らと共に北条時行軍に参じ、鎌倉に攻め上る。その後の南北朝時代は他の北条残党と同じように南朝に属し、信濃守護家小笠原氏や村上氏らと対立した。『群書類従』によると、海野幸康は正平7年(1352年)に宗良親王に従って笛吹峠の戦い(武蔵野合戦)に参陣し戦死を遂げる。 応永7年(1400年)の大塔合戦では、当合戦の寄せ手大将であった同族の根津遠光300騎とともに滋野三家嫡流として海野幸義が300騎を率いて参陣しており、滋野一族の中でも嫡流家としての影響力を保持していたことをうかがわせる。また永享10年(1438年)の結城合戦では海野幸数が他の滋野諸族とともに小笠原政康に従って参陣している。
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