大内版法華経板木とは? わかりやすく解説

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大内版法華経板木 (山口県)

名称
大内版法華経板木
区分
重要文化財
所在地
山口県
所有者
山口県山口県文書館保管

資料一覧
解説
南北朝から室町時代山陽・山陰西部一帯支配下置いた守護大名・大内氏氏寺である興隆寺開版された法華経板木。刻記より,文明14年(1482)から天正6年(1578)にかけて開版されたことや,願主彫師名等が明らかである。地方版としてこのようにまとまっているものは貴重。

大内版法華経板木

主名称: 大内版法華経板木
指定番号 95
枝番 0
指定年月日 1998.06.30(平成10.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 59
時代区分 室町
年代
検索年代
解説文: 室町時代周防長門守護大内氏氏寺であった興隆寺開版された法華経八巻板木である。全二八品が完存している。全五九のうち、五五文明十四年(一四八二)から、興隆寺塔頭の僧宥淳を願主として開版されたものであり、四元亀三年一五七二)から天正六年(一五七八)にかけて、同寺心蓮坊重映を願主として補刻されている。
 サクラ材を用い両面経文彫刻するが、うち二枚片面のみに彫刻されている。版心はなく巻子装とすることを想定している。左右両端把手付すが、多くは後補である。版面外に「一之一」から「八之六」までの整理刻記を印刻する
 当初の刻記には「文明十四壬寅五月願主宥淳」とあり、開版時期願主明らかにしている。「開版裔薫」「エイクンソウ」という彫師の名がみられ、また「十一月二日ハシマル」「内四日ヒラク」というような彫成の過程うかがわせる刻記も多く板木残されており、興味深い
 補刻分も「再興願主心蓮房重映」という発願者名の刻記と「作者末松掃部助種貞」「蔵人」「クラント」といった彫師名の刻記がみられる願主宥淳の名は「興隆寺文書」(山口県文書館所蔵文明十八二月十三日多々良童丸大内義興上宮参詣記に「宝浄坊宥淳」とあり、また補刻分の願主重映については興隆寺旧蔵文書周防国分寺所蔵)に永禄十三心蓮坊重映書状があり、いずれも同時代における活動確認することができる。なお、裔薫、末松種貞、蔵人については、関連史料を欠く。
 当地では大内氏によって開版事業が行われ、「大内版」として周知ののである。その成果としては『聚分韻略』(刊本岩国徴古館所蔵)などが伝存しているが、この法華経そのような動向一環としてとらえられる。とくにこのように板木一括して現存する例はほかになく、中世における大内氏領国文化水準を示すとともに地方出版状況物語全国的に数少ない資料として貴重である。
 なお、本板木大正四年(一九一五)に当時山口図書館所蔵帰したが、その後山口県文書館移管され、現在に至っている。


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