南北朝から宋代までとは? わかりやすく解説

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南北朝から宋代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:49 UTC 版)

漢字文化圏」の記事における「南北朝から宋代まで」の解説

歴史学上の概念としての漢字文化圏外延考え場合西嶋冊封体制論」が想定する南北朝時代から唐代にかけての地域秩序第一参照例となる。西嶋は「東アジア世界」を定義する指標として、冊封のほか、漢字儒教仏教律令制の4件を挙げており、これに該当する主な朝貢国には 新羅渤海日本倭国)がある。この他律令制導入確認できない高句麗百済加えて差し支えない。なお北宋以降高麗新羅に取って代わり、また新しく大越が加わる。 このほか、南詔及び大理については、その政治制度文化漢化度を漢籍資料だけから測ることは難しいが、南詔が唐の、大理北宋冊封受けており、中国密教流行していたこと、また移住した漢人政治関与していることは、新羅百済など典型的な東アジア世界」の朝貢国並行的である。

※この「南北朝から宋代まで」の解説は、「漢字文化圏」の解説の一部です。
「南北朝から宋代まで」を含む「漢字文化圏」の記事については、「漢字文化圏」の概要を参照ください。

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