最高裁判決まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 10:30 UTC 版)
新会社に引き継がれず、また本州新会社への3度に及ぶ採用募集にも応じず、他の会社にも再就職しなかった国労組合員は、国鉄清算事業団に移された。1990年の清算事業団解雇時に、1047名(国労組合員以外を含む)が残っていた。国労組合員は相次いで全国で36の国労闘争団を結成した。彼らと動労千葉、全動労の不採用組合員は民営化に伴う措置を、不当労働行為であるとし、地元の地方労働委員会に救済を申立てた。 国労闘争団員たちは、当座の生活費・活動費を得るためにパート・アルバイトや出稼ぎ、商品の物販を行った。物販は既製品の他、独自製品として「こくろうラーメン」「こくろうビーフカレー」「こくろうキャラメル」「音威子府みそ」「音威子府羊羹」などが知られる。これらは主に支援者に売られたが、一部は闘争団解散後も継続して生産・販売されており、製品自体が評価を受けた物もある。 地方労働委員会は組合員側の主張を認め、JR採用を認める救済命令が出された。しかしJR側は受け入れを拒否し、中央労働委員会に再審査を申立てた。ここでも大部分は組合員側の主張が認められたが、JR側(救済命令を出されたJR北海道、JR東日本、JR東海、JR貨物)はあくまで命令取消を求め、中労委を東京地裁に訴えた。また、JR総連(鉄道労連のことだが、民営化後は略称をJR総連とした)などの他労組は、従来の対立関係に加え、分割・民営化を支持した経緯から、JR側を引き続き強く支持した。JR総連はJR側が救済命令に従うなら、抗議のストライキをするとJR側に言った。なお、ほぼ同時期にJR総連は内紛により旧鉄労系が離脱し、その多くは鉄産総連と合同してJR連合を結成した。これは救済命令を支持したからではなく、古くからの労使協調派として、旧動労系の支配やスト決行を嫌ったからである。 1997年12月17日、東京地裁は和解を勧告し、国労は受け入れの姿勢を見せたが、JRは拒否した。1998年5月28日、東京地裁はJRの主張を認め、救済を全面的に取り消した。不当労働行為があったとしても、国鉄とJRは別会社であり、JRは責任を取る必要がないというのがその理由だった。 2003年12月22日、最高裁判所は中労委と国労の上告を棄却し、「JRに責任無し」の判決が確定した。その後、国労闘争団は日本鉄道建設公団(国鉄清算事業団を引き継ぎ、さらに現在は鉄道建設・運輸施設整備支援機構に継承)へ訴訟(鉄建公団訴訟、鉄運訴訟)を起こした。これについて、2005年9月15日、東京地方裁判所はJRへの採用で国鉄労働組合の組合員を不当に不利益に扱ったとして組合差別を認め、組合員一人当たり500万円、総額14億1500万円の慰謝料の支払いを命じた。しかし、事業団が1990年に国労組合員を解雇したことについては、JRの不採用者を事業団職員として雇用し続けたのは再就職準備のためとし、その根拠法が失効したこの年に雇用が終了するのは合理的と認めた。被告の機構側は判決を不服として控訴し、原告の闘争団側も解雇無効が認められなかったなどの理由で控訴した。
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