暴動蜂起とは? わかりやすく解説

暴動蜂起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 18:44 UTC 版)

ダコタ戦争」の記事における「暴動蜂起」の解説

1862年8月18日早朝、ダコタ・スー族の戦士団は、レッド・ウッド滝のそばにあるBIA出先事務所である「南スー族管理局」に攻撃をかけた。 白人はこの襲撃で、リトルクロウ酋長スー族戦士率いたとしているが、これは誤りである。スー族インディアン戦士はすべて個人判断行動するものであり、誰か指図されたり率いられたりする習慣は無い。そもそも酋長は「調停者であって、「軍事指導者」ではない。暴動はすべて戦士たち自由意志実行された。参加したくない部族民や戦士はこれに参加しなかった。 スー族に対してか糞でも喰わせておけ」と暴言吐いたアンドリュー・ミリックは、管理局建物2階の窓から脱出しようとしているところを見つかり、最初に殺され白人となった。後に見つかった彼の遺体には、口一杯詰め込まれていた。 南スー族管理局建物占領されダコタ戦士達によって焼かれた。しかし、彼らが建物焼いている間に、多く白人入植者レッド・ウッド渡し舟で川を渡り逃げ出すことができた。スー族白人皆殺しにしたわけではなかった。ミリックのような因果応報見られたが、彼らと仲が良かった白人襲われもせず、無事だった者も多かったミネソタ州民兵と第5ミネソタ志願歩兵連隊B中隊暴動鎮めるために派遣されたが、「レッドウッド・フェリーの戦い」で敗北喫した。この2つ戦闘少なくとも44名の市民民兵死亡報告された。 8月19日ダコタ族攻勢続け、ニューアルムの入植地襲ったダコタ族戦士達は川沿い防御の厚いリッジリー砦への攻撃はやめ、その代わりに町に向かい通り道にいた白人入植者達を殺した。町に突入される前に白人達は町の中央防衛隊組織し短時間の間ダコタ族寄せ付けずにおくことができた。しかし、ダコタ族戦士達は防御線の一部突破し、町の一部焼いたその夜雷雨おかげでダコタ族攻撃がやんでいる間に、ニューアルムは正規兵や近くの町からの民兵補強され住民は町の周りバリケード構築した8月21日ダコタ族はリッジリー砦を攻撃したダコタ族は砦を制圧できなかったが、砦からニューアルムへ向かっていた白人救援隊ダコタ族待ち伏せされ、またリッジリー砦の攻防人手費やし米軍戦力大きく損ねたダコタ族ミネソタ州南中部当時ダコタ準州東部で、農園小さな入植地への襲撃行った9月2日ミネソタ州民兵隊は反撃試みたものの、「バーチクーリーの戦い」で再度大敗北を喫した。この戦いダコタ族がリッジリー砦から25kmにあるバーチクーリーの米軍分遣隊150名を襲ったのであるこの分遣隊は生存者発見し白人死体埋葬し、またダコタ族戦士居場所報告するために派遣されていた。早朝の攻撃3時間に及ぶ銃撃戦始まったダコタ族2人戦死し米軍13名の兵士戦死し47名が負傷した同日午後、リッジリー砦から部隊2040名の救援があった。 ダコタ族はさらに北で、レッド川道沿い無防備な駅馬車停留所川の渡し場を襲い、またミネソタ州北西部ダコタ準州東部ではギャリー砦とレッド川渓谷セントポールの間の交易路襲ったこの人希薄地帯多く白人入植者ハドソン湾会社など地元会社従業員が、「アバークロンビー砦」に逃げ込んだ8月下旬から9月下旬にかけて、ダコタ族は「アバークロンビー砦」に数回攻撃仕掛けた撃退された。 一方レッド川蒸気船平底船による交易止まり郵便配達人駅馬車御者および軍隊伝令などが、ペンビナ、ギャリー砦、セントクラウドおよびスネリング砦といった入植地に向かう途上殺された。最終的にアバークロンビー砦の守備隊スネリング砦から来たアメリカ陸軍中隊救援され、避難していた市民セントクラウド移された。

※この「暴動蜂起」の解説は、「ダコタ戦争」の解説の一部です。
「暴動蜂起」を含む「ダコタ戦争」の記事については、「ダコタ戦争」の概要を参照ください。

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