暴動説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 15:12 UTC 版)
事件後のジョイタの所有者、イギリスの作家ロビン・モーム(英語版) (Robin Maugham)は、船の調査に何年も費やし、1962年に出版した『The Joyita Mystery』で、自身の調査結果を発表した。モームは、破損した冷却パイプとポンプの故障からの浸水で事件が始まったことを肯定した。右舷のエンジンを覆っていると判ったマットレスは、漏れを塞ぐため、または水位が上昇した時にエンジンのフライホイールによって跳ね上げられた水飛沫から電気配電盤を保護するように使用されたとされた。同時に、ジョイタは非常に激しいうねりとスコールに遭遇したと推定した。 ミラー船長は、ジョイタが不沈で、また彼の借金を完済するために目的地まで航行をし続けようとした。しかしながら、航海士のチャック・シンプソン、また場合によっては他の乗組員も、彼に引き返すことを要求した。これが暴動につながり、ミラーと乗員の乱闘の末、ミラーは重傷を負った。そのときはもう、船は、エンジン1基とビルジが浸水しつつあった上、約40マイル毎時 (64 km/h)の嵐の中に入りつつあった。エンジン室の浸水により、最終的には右舷エンジンも故障したであろうし、船の電力もすべて止まった。船は航海士のチャック・シンプソンの管理下にあり、負傷したミラーのみならず、航海用機器、航海日誌、そして補給品、船を放棄する決定を下した。 チャック・シンプソンが、浸水しているが沈没するわけでもない船を放棄し、太平洋の海上で救命筏を選択する可能性はまだ低いと考えられた。モームは、彼らが近くの島または礁を目撃し、そこに到達しようとしたのではないかと推測した。そして強風の吹き荒れる海の中で、筏から乗員乗客が投げ出されたのではないかと考えられた。軽く造られた上部構造への損傷は、船が荒海を漂流している間に波によるものと推定された。
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