日本・ドイツの「近代の超克」とは? わかりやすく解説

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日本・ドイツの「近代の超克」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 07:05 UTC 版)

オクシデンタリズム」の記事における「日本・ドイツの「近代の超克」」の解説

一例として1942年7月著名な学者知識人京都開いた座談会、「近代の超克」がある。当時日本軍真珠湾攻撃アメリカ戦艦爆撃した7ヶ月後であり、愛国的熱狂頂点達していた。出席者はいずれも、「西洋」への攻撃喜び表明したナショナリストであり、彼らは日本ロマン派作家仏教ドイツ哲学ヘーゲル)の影響の濃い京都学派哲学者ドイツ社会主義マルクス主義)からの転向者(林房雄)、ドイツ社会主義批評家小林秀雄亀井勝一郎)等だった。そこでは「日本指導のもとでのアジア新秩序」というプロパガンダ与し西洋化とは、日本精神取り憑いた病気のようなのである近代的なものとは、ヨーロッパのものである 知識専門分化東洋精神文化危機もたらした 等と主張された。そして、科学資本主義先進技術日本社会への浸透個人的自由という概念民主主義といった類のすべてが「超克」されねばならない、とされた。座談会出席者一人映画評論家津村秀夫は、ハリウッド映画激しく非難しレニ・リーフェンシュタール撮ったナチス政治集会ドキュメンタリー映画絶賛した強力な国家コミュニティをどう建設するかにおいて、後者の方が彼の考え近かったからである。津村によれば西洋対す戦いとは、「ユダヤ人金融資本」によって作られた「有毒な物質文明」との戦いだった。そして文化伝統的な日本文化―は精神的かつ深遠であるのに対し現代西洋文明軽薄根無し創造性破壊するものだという見解は、座談会出席者たちの間で一致していた。彼らの考えでは、西洋(特にアメリカ)は冷淡機械的である。そこで日本皇道支配の下に、長い伝統を持つ東洋統一されれば、慈愛満ちた有機的かつ健全なコミュニティ取り戻せる、とされた。 「日独関係」、「日独伊三国同盟」、および「枢軸国」も参照 アジア人にとって当時―そして今日でもある程度―は、「西洋」が「植民地主義」をも意味した日本西洋列強権力の源になっている考え方技術ヨーロッパ衣服プロシア憲法イギリス海軍戦略ドイツ哲学アメリカ映画フランス建築など様々なもの―を、「文明開化」を通して模倣し適応していった。このような大規模な変革日本植民地化免れた上に、列強仲間入り果たし1905年には近代戦戦って日露戦争勝利したレフ・トルストイ日本勝利は、ロシアアジア的魂が、西洋物質主義日本近代軍備)に屈した結果だ と評している。だが日本より少し前に近代化していたドイツと同様、急激な近代化行ったことで、日本社会には混乱もたらされた。ついには歴史くつがえし西洋打ち克ち、近代的なまま理想化され精神的過去帰る方法議論されるようにもなった。

※この「日本・ドイツの「近代の超克」」の解説は、「オクシデンタリズム」の解説の一部です。
「日本・ドイツの「近代の超克」」を含む「オクシデンタリズム」の記事については、「オクシデンタリズム」の概要を参照ください。

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