日本の麻紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 16:43 UTC 版)
前述のとおり福井(越前)の岩野平三郎が20世紀初頭に麻紙を復元し、日本画の画紙として用いられるようになった。麻紙は奈良・平安時代には絵画によく使われたが、後に日本の穀紙(楮)でなく墨の発色が良い中国の紙を用いており、岩野による復元によって再び日本の麻紙が日本画において主流となったというより、いわば共に歩んできた。顕微鏡で見ると、隋の時代の黄麻紙と比較して、現代の福井の麻紙は叩解は不平等で、繊維も不揃い、隙間も大きい。 日本画用の麻紙には、麻と楮を原料にしたもの(主に岩野の麻紙)と、苧麻と楮を原料にしたもの(主に高知麻紙)があり、前者は製法を受け継ぎ職人の手作業が多く、また前者は筆が接した部分以上に滲むため、紙に施す滲み止めの処理の仕方によって滲み加減を調整できる、後者はそれ以上の滲みは生じない。この滲みは、日本画の画家が好んだものである。また、処理中に次亜塩酸や苛性ソーダを用いている。これについては、岩野4代目が2016年より求められる紙が変わっているということで、大量生産に適した3代目の製法よりは初代の製法に回帰し、楮を煮る薬剤をソーダ灰に戻したり、塩素系ではなく酸素系の漂白を使うなど、紙の劣化を防ぐための製法を取り入れつつある。 京都、黒谷和紙では百万塔陀羅尼の復元をきっかけとして、麻(大麻)、苧麻、麻織物のぼろ等を使い、苛性ソーダなど化学薬品を排除し考えられる限り古法にて作った麻紙が、1979年の書籍にて、まだ試作であるとして紹介されたことがある(しかしこの黒谷麻紙は後の他の資料に記載はない)。高知の土佐麻紙(現・高知麻紙)は、尾崎によって作られており、1979年の書籍では麻(大麻)を原料として打解機でこなし、墨の線がかすれる特徴が日本画用として好まれると紹介されたことがある。尾崎金俊製紙所で作られる高知麻紙は、雲肌麻紙より新たにできた日本画用紙であり、苧麻1、楮1の比率で混合され、また苧麻100%の麻紙もある。画材としての高知麻紙の代用ではないが、苧麻を使った阿波和紙の特徴を持つ麻紙を開発中との情報が2016年に製造者から寄せられたことがある。 栃木県鹿沼市は9割は神道用に出荷される野州麻(やしゅう-)の産地であり、1600年代にも麻(大麻)の生産が盛んであると記されてきた土地であり、(21世紀に入り)地元の麻を使った紙漉きが行われており、麻紙を使った照明も作られている。その野州麻紙工房は2001年に開かれ、同じように処理に手間がかかる竹紙の職人の元へ修行へ出て、その経験を元に麻を加工し、麻の繊維部分の精麻だけを原料とした麻紙や、麻幹や麻屑(麻垢:おあか)を混ぜて作るものもある。他に、はがき、書道、版画、壁紙、障子用など、その手触りや温かみ、和らぎを活かした製品が作られている。自然な素材に興味があり、切った麻をアルカリ水で煮るといった工程を経る。 2017年には美濃和紙(岐阜県)の幸草紙工房が、大麻のみ、また楮と麻との麻紙を使った朱印帳を制作したこともある。
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