日本の腕時計
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日本では1913年、服部時計店が国産初の腕時計「ローレル」を発売しているが、その7石ムーブメントは懐中時計との共用品であった。サイズの制約が厳しい腕時計の技術でスイスやアメリカの製品に比肩することは容易でなく、日本製腕時計への評価は当の日本でも第二次世界大戦後まで決して高くなかった。1957年時点でも日本の腕時計市場ではスイス製品が大いに幅を利かせ、スイス時計は年間で約200万個程度が流入していたが、そのうち正規ルートで輸入されたのは30万個程度であとの大部分は密輸入だったという。上級価格帯ではオメガやロンジン、廉価品ではエニカ、ジュベニア、シーマといったスイス系銘柄の人気が高かった。 それでも1950年代以降、日本の腕時計の技術は着実に進歩して国内の廉価帯市場では輸入品を圧するようになり、1960年代以降はカメラと並ぶ主要な輸出商品となった。手巻きロービート式が標準であった当時、上位2ブランドから送り出されたセイコー「マーベル」(1956年発売)、シチズン「ホーマー」(1960年発売)は、共にスイス製腕時計を参考にしつつも、高精度と自動生産化を両立させるための構造合理化・パーツ大型化などが試みられ、両社の技術的なターニングポイントとなった製品である。1955年には国産初の自動巻腕時計「セイコーオートマチック」が発売され、その後も「グランドセイコー」(1960年)、「シチズン クロノメーター」(1962年)など、スイス製に匹敵する精度の国産時計が登場した。耐震機能や防水機能の装備、自動巻きやカレンダー機構の導入も急速に進行した。1964年には東京オリンピックの公式計時機器として海外メーカーを抑えセイコーが採用された。セイコーは電子計時を採用し、オリンピックで初めて計時に関してノートラブルを実現した。これを契機に日本製腕時計が世界的に認められるようになる。 日本の主要な腕時計メーカーは、電卓分野からエレクトロニクス全般に成長した総合メーカーであるカシオ計算機を除くと、すべて懐中時計や柱時計の分野から参入した企業である。セイコーとシチズン時計、カシオの3社が主要大手メーカーである。機械式腕時計時代の国産第3位であったオリエント(吉田時計店→東洋時計が前身)は業績不振から現在はセイコーエプソン傘下にて存続する。リコーエレメックスは柱時計メーカーに起源をもつ旧・高野精密工業の後身で、1957年から「タカノ」ブランドで腕時計を生産したが、中京圏に本拠があったため1959年の伊勢湾台風で大被害を受けて業績悪化、1962年にリコーに買収され、のち腕時計ブランドもリコーに変更した。
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