新潟交通として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 20:21 UTC 版)
電車線はその後も「電鉄」と呼ばれ、地図などの表記においても「新潟交通電鉄」という通称が使われるケースがあった。一本の路線として一貫した形で運用されていたが、法制上は鉄軌分界点(関屋大川前一丁目交差点付近)- 燕駅間が地方鉄道法(のち鉄道事業法)による鉄道、県庁前駅(のちの白山前駅)- 鉄軌分界点が軌道法による軌道であった。 1928年(昭和3年)に完成した萬代橋の現橋は、この電鉄線を新潟駅前まで延伸する計画があったことから、当時の道路橋梁としては非常に広い幅員で設計された。この計画は太平洋戦争の激化でいったん中断したが戦後改めて再開し、1948年(昭和23年)5月25日に運輸省(当時)から施工許可が下りた。しかし今度は財政的な問題から困難を極め、新潟交通はその後トロリーバスの計画に転換するなどして1958年(昭和33年)まで工事申請を更新し続けたものの、結局この軌道線の延伸計画は実現しなかった。 1950年(昭和25年)には併用軌道の解消を計画し、10月に国鉄越後線白山 - 関屋間の旧線の払い下げを申請したが、価格が折り合わず立ち消えとなった。 その後1960年代をピークに、国道8号の白根市内の改良事業区間の開通や新潟地震で被災したことによる長期運休、さらにモータリゼーションの急速な進行により利用者は激減した。貨物営業の廃止やワンマン化、駅の無人化などの合理化を進めたものの、車両の冷房化や老朽化した駅舎の改築などといった乗客サービスはあまり進められず、利用者減少に歯止めは掛からなかった。 また、白山前 - 東関屋間で県道(旧電車通り・はくさん通り。かつての国道8・116号で、現在の新潟県道16号新潟亀田内野線 - 新潟市道 - 新潟県道164号白山停車場女池線にあたる)を走行する軌道区間周辺の住民からは、列車の振動や騒音による公害や、狭隘な道路を走行するため自動車の通行障害が慢性的に発生することがかねてから指摘され、廃止を要求されていた。 そのためまず軌道線区間の、白山前 - 東関屋間が1992年(平成4年)3月19日限りで廃止された。この際に「レール&バスシステム」と称して東関屋駅と新潟駅万代口・南口を結ぶ列車接続を考慮した連絡バスを運行し、電車線各駅や新潟駅前、古町のバス案内所で乗継割引料金を設定した乗車券を発売する形がとられた。 次に、特に利用者が少なかった月潟 - 燕間も翌1993年(平成5年)7月31日限りで廃止され、他の鉄道路線と接続しない「孤立路線」となった。 残る東関屋 - 月潟間は沿線の道幅が狭隘で、バスでの代替が難しいと判断されたことから存続したものの、利用者減少は食い止められず、新潟交通自体の経営状況が一層悪化したことから、ついに鉄道事業からの撤退を決定。1999年(平成11年)4月4日の営業をもって66年の歴史に幕を下ろした。
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