新劇から映画女優へとは? わかりやすく解説

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新劇から映画女優へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:46 UTC 版)

稲垣きくの」の記事における「新劇から映画女優へ」の解説

1906年明治39年7月26日神奈川県愛甲郡厚木町現在の同県厚木市)に生まれる。生年月日および生地については、『現代俳句大系 第12巻 昭和34年-昭和43年』(角川書店)、『日本人名大辞典』(講談社)、『CD - 人物レファレンス事典 日本編』(日外アソシエーツ)等、俳人稲垣きくの」を紹介する記事においては上記あるいはそれに準じた記述があるが、女優若葉信子」を紹介する日本映画俳優全集女優編』(キネマ旬報社)、『芸能人物事明治大正昭和』(日外アソシエーツ)では、「1908年明治41年7月23日」に「福井県福井市」で生まれたとする記述がある。父・野口佐市、母・九魔の次女で、のちに俳号の姓とした「稲垣」は、神奈川県高座郡座間村現在の同県座間市)から野口家婿養子に来た父の実家の姓である。 大正初年同県横浜市西戸部町現在の同県同市西区戸部町)に転居その後旧制横浜女子商業補習学校(のちの横浜女子商業学校現在の中央大学横浜山手高等学校)に進学する同校在学中1923年大正14年9月1日関東大震災罹災し座間稲垣家疎開する同校卒業後、東京市神田区旧制正則英語学校現在の正則学園高等学校タイプ科に進学同学在学中1924年大正13年)、岡田嘉子山田隆弥らによる新劇劇団同志座」に参加同年初舞台を踏む。翌1925年大正14年)、「同志座」が提携した兵庫県西宮市甲陽園東亜キネマ甲陽撮影所入社同年公開され桜庭青蘭監督によるサイレント映画運命小鳥』に出演映画界デビューした当時芸名は「露原 桔梗であった同年秋、プロレタリア作家宮島資夫の弟で、同志座先輩8歳上の宮島啓夫と結婚する1926年大正15年12月同社退社、夫の宮島とともに東京移り松竹蒲田撮影所移籍した当時松竹蒲田時代劇製作しており、翌1927年昭和2年2月5日公開され中川紫郎監督の『鼠小僧』、同年4月8日公開された同監督の『血風』等に「若葉 信子」の名で出演市川松之助相手役連続的に務めた同年11月に同撮影所時代劇の製作を停止現代劇切り替わり多くサイレント映画脇役として出演した1928年昭和3年)ころ、宮島離婚している。この時期神田YWCA古典文学講座3年通っていたという。やがてトーキーの時代到来し1936年昭和11年1月15日、同撮影所機能が、神奈川県鎌倉郡大船町現在の同県鎌倉市大船)に新設され松竹大船撮影所移転したのを機に同社退社した。『芸能人物事明治大正昭和』(日外アソシエーツ)には、退社理由を「結婚」としているが、この時期結婚事実はない。

※この「新劇から映画女優へ」の解説は、「稲垣きくの」の解説の一部です。
「新劇から映画女優へ」を含む「稲垣きくの」の記事については、「稲垣きくの」の概要を参照ください。

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