新劇と女優の導入とは? わかりやすく解説

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新劇と女優の導入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:27 UTC 版)

日活向島撮影所」の記事における「新劇と女優の導入」の解説

1922年大正11年9月後藤信治が所長就任した同年田中栄三監督した映画京屋襟店』は、女形出演する映画最後の輝きとなった同作完成試写が行われた同年11月25日夜、前取締役石井常吉国際活映再建為の引き抜きにより、藤野秀夫初めとする13名の幹部俳優、1名の監督、2名の撮影技師退社表明した退職した者は下記の通りである。 俳優 : 藤野秀夫衣笠貞之助島田嘉七東猛夫宮島憲一横山運平大井吉彌荒木忍五月操藤川三之助新井淳、邦江弘久(國江弘)、川上吾郎 監督 : 坂田重則 撮影技師 : 持田米三、高城泰策 この流れのなかで、溝口健二23歳監督昇進した残されたのは、山本嘉一以外はすべて端役で、同日夜、緊急に首脳陣が、専務取締役風間左衛門後藤信治、京都からすで独立した牧野省三重役まで呼んで撮影所次長小園末徳と会議開き田中山本同席のもとで、田中提案により、同年12月1日付で新劇舞台協会との提携決め山田隆弥佐々木積森英治郎東屋三郎岡田嘉子夏川静江東八重子20数名向島参加することとなった、同協会俳優3本製作することとし結果的には、旧劇という女形による芝居から新劇シフトできた。 1923年大正12年)春、本社一旦支配人根岸耕一撮影所長を兼務初めて「監督制度」を敷いたこれまでの作品について、現在もデータ乏しいのはこの遅れのためである。脚本部に川村花菱田中総一郎大泉黒石平戸延介(のちの映画監督山本嘉次郎)が入社している。当時演出部は、田中栄三鈴木謙作若山治溝口健二細山喜代松大洞元吾がいた。同年5月田中栄三退社した が、松竹蒲田撮影所から村田実演出部迎えた村田入社第1回作品は『地獄舞踏であった同年9月1日関東大震災により、同撮影所壊滅日活以前フィルムアーカイヴもすべて灰燼に帰した同社首脳は緊急取締役会開き本社非常事態会社を一旦解散し、1,000人の従業員解雇宣言した。それでも同撮影所では、溝口健二鈴木謙作細山喜代松震災テーマにした作品製作した震災後急造復興し溝口健二らの震災エピソードによる映画製作したが、同年11月14日向島撮影所解雇免れたメンバーは、京都日活大将軍撮影所一時移籍となった4日後の同月18日大将軍で、溝口村田クランクインし、同撮影所歴史終焉となり、現代劇部もそのまま京都固定された。

※この「新劇と女優の導入」の解説は、「日活向島撮影所」の解説の一部です。
「新劇と女優の導入」を含む「日活向島撮影所」の記事については、「日活向島撮影所」の概要を参照ください。

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