新ラインと新マーケット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 17:56 UTC 版)
「ドルチェ&ガッバーナ」の記事における「新ラインと新マーケット」の解説
1987年、2人はニットウェアラインを発表、1989年にはランジェリーとビーチウェアのデザインを開始。1990年には初のメンズコレクションを発表する。同年、彼らはデザインスタジオを初の正式オフィスとし、元来の衣類デザインに加えて、ドレスなどといった高額な作品も手掛けるようになった。1990春夏レディースコレクションでは、ラファエロの神話画プリントを採用。また2人は、クリスタルをあしらったドレスで評判を築き始める。1991秋冬レディースコレクションでは、フィリグリー(金銀線細工)のメダルや派手な装飾をあしらったコルセットなど、アクセサリー素材をふんだんに使用した。1992秋冬レディースコレクションでは、クリスタル使いのボディースーツを発表しつつも1950年代の銀幕の世界のイメージを取り入れていた。 1991年、彼らのメンズコレクションが、その年の最も斬新なメンズコレクションとしてウールマーク・プライズを受賞。 1990年、カンヌ国際映画祭での『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』(原題:Truth or Dare、別題:In Bed With Madonna)のプレミア試写会で、宝石をふんだんにあしらったドルチェ&ガッバーナのコルセットとジャケットをマドンナが着用したのがきっかけで、国際的に高い評価を得る。その後1993年には2人はマドンナとパートナーを組み、1992年のアルバム『エロティカ』(Erotica)発売後の1993年、彼女の世界ツアー「ザ・ガーリー・ショー(原題:The Girlie Show)」では、1500着以上の衣装のデザインを手掛けた。とあるインタビューでマドンナは衣装について次のように答えている。「彼らのデザインする服はセクシーなのにユーモアがあります。私みたいにね」。1994年には、彼らのデザインスタジオのトレードマークであるダブルのジャケットが、モデルのクリスティー・ターリントンにちなんで「ターリントン(La Turlington)」と名付けられた。同年、彼らは若者を対象としたセカンドライン「D&G」を立ち上げる。1996年、D&Gのファッションショーは、新メディアへの実験的な移行を目的としてインターネットを介してのみ公開され、会場でのショーは行わなかった。同年、ドルチェ&ガッバーナは映画『ロミオ+ジュリエット』(原題:Romeo + Juliet)でも衣装デザインを担当した。 映画界においては、ドルチェとガッバーナは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督による1995年のイタリア映画 『明日を夢見て』(伊: L'uomo delle stelle、英: The Star Maker)にエキストラとして出演している。さらにロブ・マーシャル監督の映画『NINE』(ナイン、原題: Nine)でも特別出演をしている。また、デュラン・デュランのミュージックビデオ『ガール・パニック!』(原題:Girl Panic! )では、2人はスタイリストの役で出演している。 1990年代の市場拡大においては、1989年、日本での初ブティックをオープンするにあたって、ドルチェ&ガッバーナ社はオンワード樫山との合意書にサインした。1992年には初のレディースフレグランス「Dolce & Gabbana Parfum (ドルチェ&ガッバーナパルファム)」を発表、1993年にはPerfume Academy(パフュームアカデミー)でレディース部門ベストフレグランス賞を獲得した。1995年には、彼らの初メンズフレグランス「Dolce & Gabbana Pour Homme(ドルチェ&ガッバーナプールオム)」が、同アカデミーでメンズ部門ベストフレグランス賞を獲得した。また同年、ドルチェ&ガッバーナ社は、アメリカのマフィアをイメージしたコレクションを発表したため、イギリスとイタリアのマスコミ間で物議を醸した。ドルチェ&ガッバーナはこの1995年の秋冬物のテーマをレディースにも取り入れたため、評論家たちはこれをエロティックな作品であるとコメントした。2人はこのテーマを以前にも使用したことがある。1992年、写真家のスティーヴン・マイゼルは、彼らのデザインスタジオの広告キャンペーン用に「gangster chic(マフィア風)」のポーズをしたモデルたちを撮影した。これには、1930年代スタイルの襟幅の広いコートや黒のレザーキャップなどが取り入れられている。 作家のニルパマ・プンディヤは次のように解説している。「ドルチェ&ガッバーナは、非常に女性らしくて空想に満ちたスタイルを持っていて、1990年代に流行していた真面目なイメージの非常に落ち着いたファッションスタイルからはかけ離れていました」。
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