教会大分裂と公会議主義とは? わかりやすく解説

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教会大分裂と公会議主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:57 UTC 版)

中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事における「教会大分裂と公会議主義」の解説

教皇グレゴリウス11世教皇庁ローマへ戻しアヴィニョン時代終わったかに見えたグレゴリウス11世死後教皇選挙ウルバヌス6世即位することとなったウルバヌス6世当初官僚的温厚な人物だと考えられていたが、即位する枢機卿対し強圧的になった。その結果フランス人枢機卿がまずローマ去りイタリア人枢機卿たちも結局はこれに従った。彼らはしばらく教皇交渉試みたが、埒があかないことを悟ると、一転してフランス王の甥にあたるクレメンス7世選出しアヴィニョンに拠った。ここにローマアヴィニョン2人教皇2組枢機卿団並立する長い教会大分裂始まった1378年1417年)。 ヨーロッパ主要国一方教皇支持して分裂したが、このことは民族中心にまとまり始めた各国家利害教会内部問題にも介在するようになったことを示していた。事実教皇死後教権分立状態解消されず、主にフランス王権神聖ローマ皇帝意を受けたそれぞれの教皇並び立つこととなったローマでウルバヌス6世が死ぬと、ボニファティウス9世が跡を継ぎアヴィニョンではクレメンス7世死後にはベネディクトゥス13世即位した。このベネディクトゥス13世フランス教会への支配徹底しようとしてパリ大学中心とするフランス人聖職者反発招きフランス教会ガリカニスム傾向をますます強めることとなったこのような混乱のなか、譲歩しようとしない教皇態度業を煮やした教皇庁枢機卿団は、公会議開いて新し教皇選任しこの分裂を解消しようという動き取り始め公会議派が形成された。公会議派は1409年ピサ公会議開き、両教皇参加求めた受け入れられなかった。この公会議公会議派は両教皇廃位宣言し新たにアレクサンデル5世選出した。これに対しベネディクトゥス13世ペルピニャンで、グレゴリウス12世チヴィダーレそれぞれ自派公会議開きピサ公会議決定受け入れなかったので、ここに3人の教皇鼎立することとなったアレクサンデル5世1年後亡くなりそのあとヨハネス23世継いだが、この教皇評判芳しくなかった。 このときにあたってルクセンブルク家皇帝ジギスムントは、教会再統一積極的な姿勢見せヨハネス23世説得しグレゴリウス12世同意とりつけて1415年コンスタンツ公会議開いた。このコンスタンツ公会議ではイングランドとフランス百年戦争中で長い対立中にあったこともあって、国民的な単位に基づく異例投票形式採用された。すなわち公会議での決定個人単位ではなく、イングランド・フランス・ドイツ・イタリアの4つ出身団(ナツィオ、"natio")によりおこなわれ1417年からはスペイン出身団と枢機卿団加えられ投票権を持つ集団6つとなった公会議途中で教皇ヨハネス23世出奔し公会議召集を持つ教皇失って一時危機迎えたが、公会議派が中心となって公会議の決定教権優越することが主張され公会議教令「サクロサンクタ ("Sacrosancta")」を発してその正当性保持することに成功した。 しかし会議難航したフスなどの異端運動対す問題や、教会改革声高に主張する急進者と反発する保守派、そして国民間の対立神学者同士理論上対立持ち込まれることもしばしばであった。さらに公会議教皇選任があるのかという問題紛糾した。とにかくこの公会議さまざまな論争政治的駆け引き翻弄され長引いたものの、鼎立した3人の教皇廃位し、あらたにマルティヌス5世選任されることで一致した。こうして教会大分裂終わったが、一連の過程なかでもはや普遍的であると信じられていた教会のなかでさえ、国民性影響力増していることが明らかとなった教会大分裂時代にもカトリック教会統一維持されたことは、普遍的な教会未だ求心力失っていなかったことを示しているが、国民的な単位通して世俗権力教会対す支配強めたことは確かであった教会大分裂主な教会会議ローマ教皇庁アヴィニョン教皇庁公会議ウルバヌス6世 (1378-1389) クレメンス7世 (1378-1394) ボニファティウス9世 (1389-1404) ベネディクトゥス13世 (1394-1417) インノケンティウス7世 (1404-1406) ピサ教会会議 (1409年) グレゴリウス12世 (1406-1415) アレクサンデル5世 (1409-1410) コンスタンツ公会議 (1414-1418) ヨハネス23世 (1410-1415) マルティヌス5世 (1417-1431) 現在の教会史では、ローマ教皇庁教皇(図の黄色)を正統として数えそれ以外教皇対立教皇としている。(M・Dノウルズほか著、上智大学中世思想研究所編訳キリスト教史4 中世キリスト教発展講談社1991年などを参考作成) [先頭へ戻る]

※この「教会大分裂と公会議主義」の解説は、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の解説の一部です。
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