採択への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:40 UTC 版)
3月21日、国会議事堂が全焼したために現在のブランデンブルク州に位置するポツダムのフリードリヒ大王の墓所のある衛戍教会で、ヒンデンブルク大統領が列席する盛大な国会開会式が行われた(ポツダムの日)。この日の午後、ナチ党はいわゆる全権委任法、「民族および国家の危難を除去するための法律案」を国家人民党と共同で提出した。 この法律は5条の法律案であるが、内容は議会から立法権を政府に移譲し、ナチ政府の制定した法律は国会・帝国参議院(ライヒスラート)や大統領権限を除けば憲法に背反しても有効とする法律案である。つまり、非常事態を理由にして、為政者の権力濫用を拘束し国民の人権を保証する憲法を骨抜きにし、ナチスに逆らう者に「公益を害する者」というレッテルを貼り、人権を剥奪して弾圧するようなナチ立法を(憲法に反していても)有効とし、選挙を経ていないナチ行政府公務員に立法権まで与える法律案であった。 実質的な憲法修正の内容を持つ本案は、本来は可決には総議員の2/3以上の出席を得た上で、出席議員の2/3以上の賛成を必要とした。ヒトラー与党は過半数の議席を得ていたが、2/3には足りなかった。そこでナチスは連立与党の国家人民党、鉄兜団などの協力で議院運営規則の修正法案を同時に提出していた。この修正案は、委員会や投票に参加しない議員の会議への出席を排除できた上に、排除された欠席議員は全て出席したもの(棄権扱いで、採決の分母から除外)と見なして計算することを可能とするものであった。既にドイツ共産党議員(81議席)は全員が「予防拘禁」、あるいは逃亡・亡命を余儀なくされ、一人も出席できない状態であった。あとは中央党の同意さえ取り付ければ、「円満な採択」が可能な状態となった。 3月22日の午後4時から、ヒトラーと中央党党首ルートヴィヒ・カースの会談がもたれた。カースは執行段階での大統領関与の保証、監視委員会の設置、委任法からの除外項目の画定という三つの条件を提示した。これに対しヒトラーは大統領と自分が対立することはあり得ず、監視委員会は内閣の内に設けると回答し、さらに中央党の支持基盤である教会との関係や教育政策は対象とならないとした上で、州の権限に対する侵害は考えていないと回答した。カースはこの意見を持ち帰り、翌3月23日の午後1時から中央党は法案への対処を決める会議を行った。この席でカースは、反対した場合に「党に対して不愉快な結果」が降りかかるおそれがあるとし、賛成しなくてもナチ党は法によらない手段でその権限を獲得するであろうと述べた。他の議員もおおむね同じ考えであり、党内で行われた事前投票でも、12人もしくは14人の反対者が出るに留まった。中央党は多数決原理をとっていたため、実際の投票では全員が賛成に投票することとなった。
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