採択までの経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:08 UTC 版)
「包括的核実験禁止条約」の記事における「採択までの経過」の解説
第二次世界大戦終結後、核兵器の保有、開発競争が繰り広げられ、様々な核実験が行われた。しかしながら、核兵器のリスク、残酷さが徐々に明らかになる一方、民衆の反核運動が盛んになり、1955年8月6日には初めての原水爆禁止世界大会が開催されるなど、大きな関心を呼んだ。その後、世界的に核実験反対への動きが見られ始めた。その後、1959年9月、核保有国が主体となってジュネーヴ軍縮会議の前身である、10か国軍縮委員会が設立された。 この軍縮委員会の成果として、1963年8月、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦によって、部分的核実験禁止条約が署名されたが、地下核実験を容認するなど抜け道もあった。 1994年1月、ジュネーヴ軍縮会議は地下核実験の禁止を含む本条約の交渉に入った。交渉は長期にわたって続けられたが、インドなどの反対によって会議での採択には至らなかった。しかし、本条約に対する世界的な支持を背景として、オーストラリアが中心となり、この条約案を国際連合総会に提出し、1996年9月、圧倒的多数の支持によって採択された。
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