折紙礼法、折形(おりがた)礼法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 15:04 UTC 版)
「折り紙」の記事における「折紙礼法、折形(おりがた)礼法」の解説
折紙礼法、折形(おりがた、おりかた)礼法は、広く普及した折り紙(おりがみ)の源流である和紙を手づから折り目正しく折り、物に心を込めて包み渡す。室町時代以降、600年以上の歴史を持つ日本の由緒正しき礼法の一つ。本来はこの折形礼法が折紙といわれていた。 古文書によれば、原型は鎌倉時代に誕生。室町時代に武家の礼法の一つとして制定された。『貞丈雑記』(ていじょうざっき)や『包結図説』(ほうけつずせつ)は記録に残る最古の文献である。 室町時代の三代将軍、足利義満が武家独自の礼法としてこれを明確に定め、後世に最も由緒正しく記録された文献を残した。指南役である高家(伊勢家、小笠原家、今川家)に、伊勢家は主に内の礼法(殿中の礼法)、小笠原家は主に外の礼法(主に弓馬礼法)、今川家(後の吉良家:主に書と画の礼法)を任せ将軍、大名、旗本に限って口頭で教授するか、または雛形を使って上級武士の間で秘伝として伝承された。 その武家の礼法の一つが折紙礼法(おりがみ れいほう)、または折紙(おりがた、おりかた)である。ただし現在一般的に広く知られる現代の日本の折り紙(おりがみ)は江戸時代に遊戯用に発展したものであり、本来の礼法、作法、意味、目的を失ってしまった。 江戸時代中期の故実家であり、伊勢家(殿中の礼法を指南する高家)伊勢貞丈(いせさだたけ)はこれを憂い、『貞丈雑記』や『包結図説』にて将軍家に伝わる本来の、階級別、用途別に和紙と折り方を使い分け、その意味や目的を明記し、正しい折形礼法(おりがた れいほう)を後世に残した。 折紙(おりがた、おりかた)には流派はなく、原点を調べていくと全てこの武家の礼法一つになる。前述の『包結図説』(ほうけつずせつ)にも伊勢流、小笠原流といったものはなく、あえて言うならば将軍流(武家礼法)一つであるとされている。 折紙(おりがみ)、折紙礼法(おりがみ れいほう)、と折紙(おりかた)とを分けて呼ぶようになった。それは1920年頃、昭和初期に礼法学者、美学者、折形礼法研究の第一人者であった山根章弘が、本来、折紙礼法と呼ばれていた礼法である折り紙(おりがみ)が、遊びの折り紙と混同され本来の姿を留めなくなってきたため、遊戯折紙と折紙礼法を明確に分ける為に、「折る方法」と読まれ誤解を招きやすい呼称折紙(おりかた)を折紙(おりがた)と呼び直し、現在、遊戯用の折形は「おりがみ」、折形礼法を「おりがた」と言われるようになった。 デザインで作る「折形」は「折形」とは言わず、本来の意味、折り手順、渡し方から受け取り方、置き方までが、明確に決まっている礼法である。 江戸時代初期からは寺子屋で折形が必須項目として教えられていた他、第二次世界大戦まで義務教育として日本人の誰もが習う環境にあった。敗戦とともに折形(おりがた)は教科書から消え、遊戯折紙のみが残ったが、礼法学者であった山根章弘が戦後、流派に関係なく正しい礼法を伴う折形を復活させ、体系化した。そのために正しい折形礼法(おりがたれいほう)の普及活動を行う「山根折形礼法教室」を創設した。
※この「折紙礼法、折形(おりがた)礼法」の解説は、「折り紙」の解説の一部です。
「折紙礼法、折形(おりがた)礼法」を含む「折り紙」の記事については、「折り紙」の概要を参照ください。
- 折紙礼法、折形礼法のページへのリンク