折笠氏についての補足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 07:35 UTC 版)
戦国時代には守山城・三春城周辺を拠点とし坂上田村麻呂の末裔田村氏 (三春田村氏)に仕えた田村氏族の折笠氏の記録がある(郡山合戦の文献や守山周辺の寺社の過去帳など)[要出典]。 会津古塁記によると、「応永十年癸未(1403)。東西五十六間南北三十八間応永十年癸未小布瀬原右京介景勝折笠山に舘ノ原村舘(耶麻郡)を築き住す。八幡舘と号す。折笠を家名とす。」と記されている。 新編会津風土記にも登場している[要出典]。 会津の山都町観光協会には江戸時代末の会津藩領内を詳細に記した彩色絵地図『上林・折笠兵馬家の会津家中諸役知行名鑑』(江戸時代末の会津藩領内を詳細に記した縦1m、横 1.05mの彩色絵地図)が存在する[要出典]。 会津地方の折笠家の中には、江戸時代には家老に嫁ぐ者、明治期に村長を務めた人物を輩出する家系も存在。現在は13代目(寺社の過去帳と家系図で確認)10代目次男は瑞宝双光章受章[要出典]。 折笠山が存在した(八幡舘 旧舘ノ原村舘 耶麻郡 館主:折笠景勝)[要出典]。 陸奥折笠館が存在した。 城主:折笠氏 青森県弘前市大字折笠字宮川『本藩通観録』に「為信御普代之館 折笠館主 兵助」と記載されている[要出典]。
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