戦中と終戦直後の状況とは? わかりやすく解説

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戦中と終戦直後の状況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)

日本の鉄道史」の記事における「戦中と終戦直後の状況」の解説

日中戦争・太平洋戦争第二次世界大戦)の勃発に伴い鉄道戦時体制組み込まれ前述した産業用鉄道国有化私鉄統合の他にも、「不要不急旅行」を抑制する動きが目立つようになっていく。満州中国方面への視察伊勢神宮橿原神宮などといった「皇国史観教育」・「武運長久祈願」による聖地参拝旅行といった例外当初存在したが、軍需輸送優先させるために国鉄においては1943年昭和18年2月以降旅客列車削減が行われるようになり、1944年昭和19年)には特急列車一等車食堂車寝台車全廃された。このことは、戦況の悪化総力戦体制を、それまで見逃されていた特権階級(高級将校財界人など)にも次第に強いるようになっていったことを示すものでもあった。 サイパン島陥落以後鉄道施設対す空襲も本化するようになり、駅や車両甚大な被害出たり走行中の列車艦載機攻撃を受け、死者を出す例も発生した湯の花トンネル列車銃撃事件など)。ただ、破壊された後に復旧困難になる鉄橋に関しては、何故か大きな攻撃を受けることがなかった。とはいえ沖縄県の鉄道のように地上戦結果、完全に破壊される所も出るなど、日本の鉄道網は甚大な被害受けた。しかし復旧へ向けて関係者取り組み早く東京大空襲翌日には一部国電動き広島原爆投下2日後には山陽本線3日後には広島電鉄一部区間営業再開したほどである。そして1945年昭和20年8月15日という玉音放送があった日も鉄道の運行続けられ国民立ち直らせるのに一役買ったとも言われている。また、進駐してきたアメリカ軍当初日本の鉄道運行不可能になっていると予想しディーゼル機関車貨車フィリピン経由輸入することにしていたが、鉄道曲がりなりにも動いているのを見て驚き、それを中止させたという逸話残っている。 空襲の他、戦後には敗戦ショックに伴う乗客道徳荒廃等により、多く設備車両破壊されたが、資材労働力の不足により復興遅々として進まなかった。しかし、復員列車買い出し列車など旅客需要急増し、その一方で石炭不足から列車戦時中より削減された。その結果旅客需要答えるために過度運行をせざるを得ず鉄道事故相次いだ。だがそのようなでも、進駐してきた連合国軍に関する輸送最優先で行う必要があり、当時日本人には縁がないほど豪華な設備備えた連合軍専用列車が、全国運行されるようにもなった。

※この「戦中と終戦直後の状況」の解説は、「日本の鉄道史」の解説の一部です。
「戦中と終戦直後の状況」を含む「日本の鉄道史」の記事については、「日本の鉄道史」の概要を参照ください。

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